試作車や希少車両
 量産車とは少し違う試作車
 新型車両が産まれる時、もし新機軸が盛り込まれるものならば量産を前に試作車が先に製造されて試験運用に就いたりします。国鉄やJRではよくみられた形態で、量産車が登場した後は量産化改造を行ってその形式に編入されます。量産化改造を行うととはいっても量産車と比較して若干の差異があるので、101系や201系、209系、169系など900番で番台区分をしている例が多くみられます。特に機関車では次世代機関車登場までのスパンが長く、世代交代をする頃には技術面で大きく変化しているためか、長期試験を行って万全を期するようで、EF66以降JR世代の機関車のほとんどに900番台を関した試作車が存在しています。
 大手私鉄ではまるまる一本試作車で構成される新造試作編成というのはあまり存在せず、インバータ制御車登場の頃には編成の一部を使い一ユニットだけに新型装備を搭載してテストを行ったり、従来車を改造した例がほとんどでした。1500V用車両としては初のインバータ制御車である近鉄1420系は試作編成として登場していますが、当時営団であった東京メトロでは千代田線6000系試作車をインバータ制御化改造を行い、京成でも3200形をインバータ化改造を行った編成で試作を行い、東急でも6000系を改造して試作をしています。特に相鉄の3000系は吊掛け式からインバータ制御に改造されるという変わった経歴を持っていますが、これも一編成だけなので試作的要素が高かったのだと思われます。西武は新交通システムの山口線用8500系でインバータ制御を初採用していますが、開業前の試運転などでテストを行っていたのかもしれません。阪急では1985年に2200系の一ユニットをインバータ制御に改造して試作を行っていまし、小田急では1986年に2600形の付随車にインバータ制御を搭載して電動車化した上で実車試験を行っています。京阪でも1988年に6000系を新造した際、一編成8両のうち4両にインバータ制御機器を搭載して試作を行っています。これらの形式は1980年代にインバータ制御を実用化した事業者で、まだ普及に至っていない最新の技術のために試作編成を用意して実績を積み重ねていったものと思われますが、新車で編成としてインバータ制御試作車を導入したのは近鉄だけ、一部でも新造したのは京阪6000系くらいで、他社は全て抵抗制御車として運用されていた車両を改造して実車試験を行っています。
 チョッパ制御時代にはこの技術に対する試作車は電機子チョッパ車では東武、営団、近鉄、阪急、南海、山陽と新技術を検証するために投入しています。しかしながら大手私鉄で電機子チョッパを積極的に採用したのは営団と阪神だけで、その他は試作車だけで終えてしまっています。インバータ制御の試作車と違う点は、山陽を除いて従来車を改造して試験を行うのではなく、新造試作車を用意している点でしょう。ただ結局実用化しなかった事業者では孤立した技術となってしまい、廃車まで電機子チョッパ制御のままであったものもありますが、南海8000系のように部品確保が困難になって従来車と同様の抵抗制御車に技術的には後退したり、阪急2200系のように電装解除の上で他形式の付随車や制御車に編入されたり、近鉄3000系は独立した運用を組んでいたものの、柔軟な運用が組めるように電機子チョッパ共に試作運用していた電気指令式ブレーキを従来からの電磁直通ブレーキに改造するなど、試作車ならではの少数形式としての扱いづらさが垣間見えます。量産車を出した東武は性能面では問題ないものの、乗降扉の位置が量産車と若干違うために、副都心線直通という9000系量産車との共通運用が組めないでいます。営団/メトロ千代田線の6000系も1次試作車は元々3両編成で製造されたので千代田線の本線では運用されませんでしたが、試作車として次世代式のチョッパ制御やインバータ制御の試験を行った後に、東西線5000系と同等の抵抗制御に換装して現在は綾瀬支線用の編成として営業車の仲間入りをしています。また2次試作車は営業運転を前提としたもので、試験運用終了後は量産化改造を経て営業運転についています。ただこちらも東武9000系と同様に車体で量産車と同等にできない部分があり、車体の規格が小田急の建築限界に抵触してしまい、小田急線への直通運用には就けないでいます。ちなみに制御機器は電機子チョッパ制御からインバータ制御の換装されています。
 界磁チョッパ制御に関しては技術的に抵抗制御の延長である部分が多いためか、試作車が事前に営業車に組み込まれて試験を行っていたという話は聞きません。制御機器に関しては新性能車黎明期や電機子チョッパ制御、そしてインバータ制御の時代において導入するのが現実的かもしれません。架空鉄道でも試作車を導入する際には、後にインバータ制御のように普及するシステムなのか、それとも試作車だけで終わるような電機子チョッパ制御かによって立ち居地が変わってきます。試作車を基にして量産車が登場しても使う後こちの悪い部分は改良されて量産されるので、試作車と量産車はどこと無く違いが現れます。こうした部分で東武9000系やメトロ千代田線6000系のように運用が限定されたりすることがあります。また近鉄3000系のように電機子チョッパに加えて電気指令式ブレーキやステンレス車体と様々な新機軸を盛り込む事例も存在します。

 この他制御機器以外での試作車として相鉄6000系のアルミ車体試作車が挙げられます。先頭車1両の車体をアルミで製造し鋼製車との比較試験が行われました。また東急8000系でも軽量ステンレス車体の試作車が中間電動車2両として製造され営業運転での耐久試験を行い、8090系以降の製造に反映されました。京成でも1600形の中間車2両を一般車格下げ改造時にアルミ車体に載せ替えて試験を行っています。こうした編成への部分的な試作車両の導入は試験対象が車体なので走行性能を損なう事無く鋼製車と併結させることによって、比較を容易にするためだったのかもしれません。試作車両を仕立てて試験を行うのは主として制御機器に関したものが多いようですが、ただ阪急では冷房車導入時に5000系をベースに試作的要素を備えた5200系を製造しました。冷房装置搭載に伴う車重増大に対応するため車軸や空気バネの強化や電気関連の重層化を行っています。また東急でもステンレス車導入時に5000系“青ガエル”をステンレス車体にしたような5200系“湯たんぽ”を1編成製造して耐久試験を行い、7200系でアルミ試作編成を登場させています。前者は形式まで独立させた試作形式ですが、後者は既存形式の中に盛り込んだものとなっています。山陽でも2000系が1960年製造分をステンレス車体で、1962年にアルミ車体を試作して評価を行いました。前述の近鉄3000系も様々盛り込んだ試作的要素のうちにステンレス車体がありますし、8000系のうち2両にアルミ車体車を思索的に製造しました。足回り機器関連以外での編成単位の試作車はこれくらいでしょうか。新規に形式を起したものを除き、車体亜試作車を別番台にして区別することはしていないようです。その他は冷房機器や台車、パンタなどは既に運用に就いている車両に搭載して試験を行うようです。
 こうした比較的小さな変更でも一般車両のバリエーションとして変化ある車両を増やすことが出来るでしょう。特に台車やパンタは一時的に試作品に交換されて一定期間が過ぎると従来品に復旧するという事例も良くあるので車両の歴史として設定するのも良いかもしれません。冷房装置に関しては試作機器と量産機器が違っているものも多く、後の新製冷房車との変化を作ってみるのも面白いですし、試作冷房車、新製冷房車、そして冷房改造車と目立つ屋根上で変化を付ける事が出来るでしょう。

 希少車 改造車両編

 量産された車両は一定の需要を満たすためにある程度纏まった両数や編成数を確保しますが、様々な理由で1〜数編成のみとか僅かな数だけで導入が終わってしまう例もあります。多くの場合は少数のために新造車で対応する例は少なく、余剰となった従来車を改造して対処する方が多いといえます。例として京成3600形が6両固定から8両固定にした際に増結する2両を新造ではなく3編成をばらし中間車を捻出して対処しました。この際余剰となった3編成分の先頭車両6両を編成として仕立てて6両編成1本を組成したものがあります。ただ3600形の先頭車は上野寄りも成田空港寄りも制御車であったので4両をインバータ制御にて電装化して、中間に封じ込めた車両は運転機器を撤去しました。他の6両組成の3000形や3500形と共に京成線内の「普通」運用に就いています。現在では廃車されて形式消滅しましたが、東武2000系が20000系によって置き換えられた1988年ごろ、当初の編成としては1961年登場ですが、編成両数増強用に増備された中間車には1971年に製造されたものもあり経年20年未満と車齢が若かったので、野田線で運用されていた旧性能車3000系を置き換えるべくこの中間車を組みなおし、一部を先頭車化した上で2080系として2編成を運用に就けました。しかし冷房化ができない構造であった事や野田線の運用を4扉20m車に統一した事もあり、改造から4年、1992年には廃車となり形式消滅しました。冷房化出来ない点は本形式の運用としては致命的で、本来6編成を改造投入する予定だったのが僅か2編成で打ち切りとなり、種車の2000系が1993年に全車廃車となったのに比べそれよりも早い引退となってしまいました。南海でも高野線のズームカーとして活躍した21201系の1両を貴志川線3連運転用に転用した例があります。これは貴志川線では3連運用開始に伴い車両が不足していた事と、21201系が機器流用車ながら車体は転用時には比較的新しかったからで、電装解除の上で貴志川線入りしました。後に同線の利用客減少によって3連運用は取り止めになり廃車となっています。山陽では3000系の4連化を行うために2000系や2300系を電装解除と中間車化して3000系に組み込みました。両開き扉の3000系に対して2000/2300系改造車は片開き扉だったので、判別は容易でした。こうした山陽の改造車組み込み編成は利用客減少に伴う減車と改造車の老朽化により編成は解消されてしまい、現在は元の3000系3連に戻っています。
 こうした転用例で一番大規模だったのが京阪1900系でしょう。1900系は1963年の京阪本線の淀屋橋延長に際して登場した形式で、1956年に登場した1810系の足回りを基本して2000系以降の軽量車体を合わせ手1900系は登場しました。この増備は急務であったので新造車だけで必要編成数を揃えるだけでなく、ベースとなった1810系も取り込みました。旧形式車のような外観を持つ1810系と近代的な1900系はまったく違うようにみえますが、走行関係の性能は同一で室内設備もほぼ同等、当時はどちらも冷房を装備していない時代だったので運用上では特に問題なく受け入れられました。
 こうした改造編入車の共通した点は車体はバラバラでも足回りは共通だというところでしょう。京阪1900系は当初から同じ性能であったので問題ありませんが、違う性能であった場合は山陽3550/3560系のように電装解除で付随車化して編入するというパターンも使えるでしょう。また余剰となった中間車を集めて一部を先頭車化改造を、逆に先頭車を集めて中間に封じ込める車両は運転台機能撤去をして編成を組むことも使えます。多少旧式化したもののまだ十分運用に耐えることが出来る車両を若い他形式に編入して凸凹編成を組むのも編成のバリエーションとして楽しいものといえます。特に次々とマイナーチェンジを繰り返してきた高度経済成長期では良くあり得た事例といえるので、少数ながらこの混結編成を採用してみるのも面白いでしょう。


 希少車 事故復旧車編
 量産が軌道に乗り画一的に生産されていく形式でも、時には思いもよらぬ理由で特異な車両が生まれることもあります。踏切事故で前面を破損してしまった場合、破損した先頭部を補修する事になりますが、この時旧来からの部品が無かったり新しい基準で復旧させることになる事があります。特に名鉄で多くの例がみられるので、名鉄で検証してみましょう。戦中の1942年に製造された3500系は無骨な半鋼製車体でウインドシル・ヘッダ付きでしたが、モ3504が1960年にダンプカーとの踏切衝突事故により大破炎上してしまいました。このため足回り機器を流用しつつ、車体を当時製造増備をしていた全金属製車体のHL車である3700系と同等のものを代替製造を行いました。事故復旧のため当然ながらこの1両だけで、相方のク2561は半鋼製車体でウインドシル・ヘッダ付きのAL車では標準的な車体を載せていました。車体の設計がHL車と同じで車体長が若干短くなったためか、形式も3560系となりました。
 新性能車でSR車の5200系と5500系も前者は踏切事故により、後者は新川工場内での火災によって車体を損傷した際に先頭部高運転台に変更されて復旧しています。そのままで復旧しなかったのは当時名鉄では踏切事故が多発しており、乗務員防護のためだと思われます。この頃製造されていたのは7000系列のパノラマカーシリーズとHL車の3700系シリーズも製造されていました。低運転台の3700系は1957年から1963年の製造で、高運転台化された3730系と3770系は1964年より製造されており、5200系事故復旧の1968年、5500系の事故復旧の1964年とこの辺りから名鉄が高運転台を採用していく時期となっていて、このような変化が起こったのでしょう。その後6000系が1987年に踏切事故によって大破して車体新製によって復旧していますが、この頃の6000系列は6500系タイプの車体に移行していたものの、特に設計変更は無く元のままとなっていて一目では見分ける事はできません。
 長い間車体新製などの復旧工事を行うような大規模な事故が起こらずに済んでいた名鉄ですが、2002年に1200系一部特別車特急が線路内に侵入した車に接触して脱線転覆、豊橋側2両を大破するという大きな事故が起きました。この際大破した2両は特別車で復旧される事無く廃車となってしまいましたが、岐阜寄りの一般車4両は大した損傷も無く復旧の見込みがありました。名鉄ではこの4両の豊橋寄りの車両に運転台を設置して1編成4両の一般用車両を仕立てる事としました。このような経緯で登場した1380系は1編成のみの特異な存在ですが、当時廃車を進めていた7000系の置換えにはちょうど良く、見た目は特異でも足回りは1030/1230系そのものであり。7000系や5000系列のSR車や1000系列との併結は可能で、共通運用も出来るのでこういった1形式1編成の希少車両としては重宝されているといえます。
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 書類上は事故復旧車と称した車体新造車としては名鉄のほかにも東武8000系や京阪5000系がありますが、いずれも原型に準じたものとなっていました。まあ事故復旧車は実車の例を見ると車体新造だとしても原型に即したものになるか、高運転台化など小規模なものが多いですが、マイナーチェンジの行われた次世代形式の車体を持った凸凹編成を組成するのもバリエーションを増やすという点で面白いと思います。ただ大きく違うのはあくまで車体で、足回りは従来からのものとした方が性能の共通化という点で自然なものになると思いますし、わざわざ古い設計のものを製造するよりも、現在量産中の車体を製造する方が簡単に考えれば安上がりですし、架空鉄道での流れとしても説明しやすくなるといって良いでしょう。現実世界ではあまり例がないといえる凸凹な事故復旧車ですが、極端に不自然とはいえませんし、あえてこうしたものを採用してみるのは良い事だと思います。ただ踏切事故で車体を排気するほどの事例が早々起きてしまうのは考え物ですし、50年以上の歴史の中でもほんの数例に抑えておくのが妥当で、あまりやりすぎるのは良くないと思います。事故復旧車というのはここの項目に挙げる通りに本当に希少な車両といえる存在であり、そうした範疇に収めておくのが正解でしょう。

 希少車 新造車両編

 

<続く>