ラッシュ時の流れを決める 通勤車の乗降扉
 通勤電車において扉というのは車両設計において重要な地位を占めるもので、特にラッシュ時に乗客の乗降がスムーズに行えるのも扉のレイアウトの良否によるものといっても過言ではないでしょう。
 1950年代まで多くの通勤電車は片開きの乗降扉を採用していました。片開き扉は構造が簡単でしたが、ラッシュ時に乗降客が増大するようになると、扉の開口部は広くとられるようになってきて片開き扉では開閉に時間が掛かるようになってきました。扉の開閉速度を上げて対処した事例もありますが、開閉速度上昇にも限界がありました。両開き扉なら扉の開閉速度を上げることなく開閉時間を短くでき、扉の幅も2倍とはいえないものの片開き扉よりも開口部を広くとることができました。例として途中でマイナーチェンジが行われた京王3000系では片開き扉は1200ミリでしたが両開き扉では1300ミリに、名鉄7000系は片開き扉が1000ミリでしたが、両開き扉となった7100系では1300ミリに変更されていますし、国鉄では旧性能車のモハ72系列の片開き扉は940ミリだったのが、新性能車の101系は両開き扉で1300ミリとなっています。

表11.各事業者の通勤車における両開き扉の初採用年と形式
会 社 名 採 用 年 形 式 備 考
東武鉄道 1961年 2000系  
西武鉄道 1959年 451系  
京成電鉄 1964年 3200形  
東急電鉄 1960年 6000系  
京王電鉄 1964年 3000系 ※1※2
小田急電鉄 1955年 2300形  
京浜急行 1982年 2000系  
帝都高速度交通営団 1957年 300形 ※3
相模鉄道 1961年 6000系  
名古屋鉄道 1976年 6000系 ※4
近畿日本鉄道 1957年 1460系  
阪急電鉄 1960年 2000系  
京阪電鉄 1957年 1650形  
南海電鉄 1969年 7100系  
阪神電鉄 1958年 5001形  
山陽電鉄 1964年 3000系  
神戸電鉄 1965年 1000系  
西日本鉄道 1962年 600系  
日本国有鉄道 1957年 101系  

注.基本的に両開き扉を初めて採用した形式を記載。

※1.1962年登場の第1.2編成のみ片開き扉車で、第3編成以降が両開き扉車。
※2.新製車で当初から全車両開き扉で登場したのは1971年登場の6000系。
※3.現東京地下鉄(東京メトロ)
※4.編成単位以外では1975年に7000系増結用中間車7100番台が両開き扉で登場。

 大体の流れとしては両開き扉車を採用し始めた時期は新性能車登場の時期となります。新性能車は多くの場合に軽量化車体を採用していて、この時に両開き扉という新機軸を同時に採用したものと思われますが、直接技術的に関わりのあるものではないので南海6000系や7000系のように新性能車ながら片開き扉を採用していたり、西武451系のように旧性能車でも車体は近代的で両開き扉を採用している例もあります。京急では近年まで乗降扉は片開きという方針を掲げていて、扉の開閉速度を上げて扉を他形式標準の3扉から4扉に増やしてラッシュ時の乗降流動に対応しました。これは1978年登場の界磁チョッパー制御・電気指令式ブレーキを装備した800形まで続きました。余談ながら京急の車体長は17.5メートルでこの若干短い車体に4扉としたので、扉と戸袋はどうしても固定窓となり開閉できる側窓が少なくなってしまい、非冷房時代の700形では朝ラッシュ時の車内温度は非常に上がって地獄のようだったといわれています。名鉄は1955年以降長らく片開き2扉転換クロスシート車を製造し続けて、それは5000系列からパノラマカーシリーズの7000系列と20年に渡りました。7000系最終増備分の第9次車は前述のように両開き扉にはなりましたが、オイルショック後に利用客が増加してラッシュに対処できない事態となって、両開き3扉の6000系登場となりました。現在では新造される通勤車は全て両開き扉車となっていて従来車の片開き扉は数を減らしつつありますが、南海6000系は現在も片開き扉のまま全車72両が健在ですが、すでに片開き扉の部品は製造されておらず、廃車となった南海7000系の扉部品を改修して確保しているようです。
 京急の700形や800形に限らず、両開き扉でも扉数を増やして乗降時の流れを良くするのは昔から考えられてきて、17〜18メートル級の中型車は3扉、20〜21メートル級の大型車では4扉とするのが主流でしたが、京阪5000系がラッシュ時に限って5扉で運用される方式を採用しました。これは5扉のうち2番目と4番目の2扉を“ラッシュ用ドア”として扱い、ラッシュ時には5扉全部を扱い、通常時には“ラッシュ用扉”を締め切り3扉で運用に就きます。特徴的なのは通常時に締め切る2扉の部分に格納していた座席を設置して着席定員を増加させる機能がある点で扉を増やす事によって座席が減るデメリットを軽減していますが、機構が複雑になるためか今に至るまで締め切り扉部分に座席を設ける車両はこの京阪5000系以外には存在しません。4扉を越える多扉車はしばらく登場しませんでしたが、1990年に5扉を越える6扉がJR209系の一部車両に、同じ時期に営団(当時)18m級車体の03系に5扉車が1991年には京王6000系の一部編成に5扉が登場し、その後5扉車の東武20050系、営団05系、6扉のJRのE231系や東急新5000系が登場しています。しかしこれらの形式は一部編成の一部車両(例えば営団03系では第9〜28編成の20本の1・2号車と7・8号車のみが5扉車)で、後年製造された多扉車で編成単位なのは京王6000系6020番台だけですが、これも6000系の中の一部編成に過ぎず、この6020番台にしても扉の数と位置の違う編成は使い勝手が悪かったのか動物線専属となった一部の編成を除いて4扉に改造されました。形式全体で多扉車なのは現在も京阪5000系だけとなっています。多扉車は扉が多くなってラッシュ時の乗降には威力を発揮しますが、それ以外のデータイムでは扉のスペースの代わりに座席が犠牲となっていて、メトロ日比谷線03系を例にとると3扉先頭車の座席定員は44名で5扉先頭車は32名、3扉中間車は52名で5扉中間車は40名とそれぞれ12名ずつ少なくなっています。5扉車が1編成4両となっているので、編成辺りの座席定員が48名も少なくなってしまいます。この点が全車多扉車化するのをためらう理由で、メトロ03系もラッシュに必要な編成数(20編成)を揃えるとその後の増備分は再び全車3扉の編成に戻りました。日比谷線と相互直通を行っている東武でも03系5扉車の運用成績を元に20000系の5扉バージョンである20050系を投入していますがこれも8編成に留まり、その後の増備車は3扉に戻した20070系としています。ちなみにもう一方の直通先の東急東横線では日比谷線乗り入れ分の1000系に多扉車は導入されていませんが、田園都市線用の新5000系には6扉車が連結されています。この新5000系6扉車はJR東日本が開発したE231系をベースに東急仕様とした形式で、E231系に導入された6扉車の設計を活かした車両を乗客の増加が著しくラッシュ時の混雑の激しい田園都市線投入分の新5000系に6扉車を導入し編成中最大3両連結されて、この車両の座席定員は従来の中間車54名に対し30名と14名少なくなっており、ラッシュ時はこの少ない座席を全部収納して座席を0とする事ができるようになっています。多扉車ではありませんが、こうした座席収納車は阪急8200系にもみられ朝ラッシュ時の増結車として運用されています。しかしながらラッシュ対策としてのやむをえない手法とはいえ、座席を全部収納して立席だけとするのは乗客からは不評であったことと、阪神淡路大震災によってJRの輸送量が増大して相対的に阪急の乗客数が減少したことにより8200系は僅か2編成4両で製造が打ち切られて、座席はラッシュ時でも着席可能な状態で運用されて、2008年には9000系に準じた通常タイプの座席に改造されました。
 ラッシュ時とデータイムとの乗客数の格差はどの鉄道事業者も頭を悩ませている部分であり、こうした事例を見てもラッシュ時を考慮するとデータイムのサービスに難が出てきたり、データイムにあわせるとラッシュの詰込みが効かなくなると両立そしてバランスが非常に難しいものとなっています。
 また多扉以外の扉によるラッシュ対策が所謂“ワイドドア”と呼ばれる大型扉の採用です。これは扉を増やすのではなく扉の開口部を大きくする事によって多扉と同等の効果を持たせようというもので、小田急1000形やメトロ05形や15000系に採用されていて、小田急では従来は扉開口部1300ミリのところを2000ミリに、メトロでは1300ミリを1800ミリとしました。ワイドドアは多扉と違って、従来車と扉位置を多少ずれるものの合わせる事が出来て整列乗車の列を乱すのを最小限に抑える効果がありましたが、しかしながら扉が大きくなった事で閉まるまでの時間が余計にかかるようになってしまい、出発までに余計な時間が掛かったり駆け込み乗車を誘発する結果となってしまって、小田急では扉の開口部を狭くする改造工事を行ない、後に製造された2000形に合わせて1600ミリとしました。その後の車両は3000系の第1次車が1600ミリ扉を採用したものの、2次車以降や4000形はかつての扉幅である1300ミリに再び戻りました。東京メトロも同様の欠点が問題となり05系では5編成で増備は中止となって再び1300ミリ幅に戻りましたが、やはりラッシュ時の混雑は激しいので2010年より製造されている最新鋭の15000系は再び1800ミリ幅の“ワイドドア”を採用することとなりました。不適と判断されたワイドドアを再び採用した背景にはメトロ東西線では編成中に乗降客が集中する車両が少なく、交雑率が均等化されていて一部車両に多扉車を組み込みにくいとされていて、少しでも混雑を緩和するためにはワイドドアの復活ベストではないものの現状よりは改善されると判断したためとされています。そして15000系は一部車両一部編成といった方式ではなく全車がワイドドアを採用しています。またワイドドアとはされていませんが名鉄最後のSR車とされる5700系と5300系は同じくラッシュ対策として従来の6000系列通勤車が採用していた1300ミリ扉よりも100ミリ広い1400ミリ扉を採用しています。これはラッシュ対策ではありますが、2扉クロスシートなので少しでも乗降をスムーズにできるよう配慮するために若干ながら開口部を広くとったもので、採用理由は似ていますが前提条件がやや異なったものとなっています。

 前述のように通勤電車では3扉か4扉が標準的な車体レイアウトにとなっています。これは扉の数と座席定員の兼ね合いで決まるもので、ラッシュ時に多くの乗降客が見込まれる大手私鉄ではこの扉数とロングシートの構成が基本で、こうした点からすると東武やメトロ日比谷線の18m級車体の5扉車はかなり無理をした車体構成だといえます。多扉と逆の2扉も少なく高度経済成長が始まった新性能電車黎明期にはほとんどが新規製造されなくなっており、自動車との競争によって着席サービスに重点を置いていた名鉄が2扉クロスシートを主力としているくらいで、その名鉄も2扉車はごく一部を除き基本的にロングシートでは無くクロスシートでしたし、現在では18〜9m級車体に3扉車が主力となっていて2扉車は5700系と5300系が僅かに残るのみとなってしまいました。他社でも近年の2扉車は東武6050系や西武4000系のような長距離主体の車両や京急2100形や阪急6300系、西鉄8000系のような料金不要特急車用として、いずれにしてもクロスシート車で純然たる通勤車とはいえないものです。しかしながら2扉ロングシート車は皆無ではなく、南海高野線のズームカーにその形態を見ることが出来ます。ズームカーの21000系や22000系、そして現在も活躍を続ける2000系、22000系から改造された2200系や2230系が存在します。これらは高野線の山岳区間の急曲線を走行するために17m車体に抑えられ、車体の小ささと閑散区間での運用が考慮されて2扉に、大阪近郊の区間での運用が考慮されてロングシートになったものと考えられます。走行性能だけでなく車体設備についても相反する両区間の特性を鑑みたズームカーだといえるでしょう。ただ21000系は当初はクロスシートで登場して後にロングかされましたが、2編成は特急「こうや」の予備としてクロスシートのまま残されていました。また現行車の2000系は車端部がボックス型のクロスシートとなっていますが、同様の座席構成は東急などにも存在していてオールロングシートに準ずるものと考えてよいでしょう。
 様々な扉数が存在する私鉄が多数存在しますが、そうした場合なるべく扉の位置を合わせる傾向にあります。これは整列乗車など乗客流動を考えたもので、車体設計の共通化にも繋がります。また車端部の扉は隣の車両との扉の距離と同じ車両の中間部の扉との距離を極力合わせるようにしていて、編成全体の扉の位置が均等化するように配慮されて、これにより車端の扉は若干内側に設置されるようになっています。こうしたレイアウトにはもちろん例外もあって、阪急の6300系は扉間の座席を多く確保するために扉を車端に寄せて扉と妻面の間に座席を設置しないようにしていますが、こうした傾向はクロスシートを売りにした料金不要特急車に多くみられます。
特急車の項目でも記述しましたが、かつての優等用車両は後継車が登場した後にロングシート化や扉を増設して一般車化する例があります。新性能車以降では京急の2000形や阪急2800系、京阪1900系、西鉄2000系などが挙げられ、2扉から3扉への改造が行われています。このうち京急2000形は運転台直後の扉位置が違う程度、阪急2800系は先頭車も中間車も扉が一致していますが、西鉄2000形は中間扉が一致する状態となっています。一番複雑なのが京阪1900系です。1963年の淀屋橋延長時に製造された特急用車両で、後の3000系や8000系の先駆的存在となり京阪特急車としては4代目に当たります。基幹となるグループは2000系の流れを汲むデザインとなっていますが、3代目特急車で1800系を踏襲した少々デザインの1810系を組み込んだり両運転台車が存在したりと車体だけに注目しても様々な車種構成となっています。ただし1900系と1810系は全体的なデザインは異なるものの、窓や扉の配置は同じなので一車化改造後でもそれほど違和感はありません。ここで違いが現れるのは両運転台車の一般車化改造です。運転台が多く片運転台化工事を行ないましたが運転台跡があるので窓と扉の配置が微妙にずれています。この関係で普通に中間扉を増設すると均等な扉配置が崩れてしまうので、両開き扉を採用して戸袋部分を扉の両側に半分ずつ割り振り片開き扉の位置より扉設置場所をずらす処置をとったので一車両に片開き扉と両開き扉が混在する特異な形状となりました。一車両に片開き扉と両開き扉が混在する例は、大手私鉄ではこの他に南海2270系が存在します。これはズームカー22000系を貴志川線用に改造した形式で2扉両開き扉のうち運転台直後の乗降扉が片開き扉に改造されています。これは貴志川線ではワンマン運転を行うために運賃収受を行いやすくするように扉を運転台直後へと移設しました。この際両開き扉ではどうしても戸袋の分だけ扉が運転台から離れてしまうので片開き扉を採用したものです。こうした例は第3セクターの8100系やJR四国のローカル用車両にみられます。ちなみに2270系は2006年に貴志川線が南海から経営分離されたため、現在は南海の車両ではなくなっています。
 3扉車と4扉車が同じ路線で運用される路線として代表的なのは西武でしょう。最近では3扉車の淘汰が進みましたが、以前は3扉の101系グループと3000系、4扉グループの2000系や6000系以降の通勤車グループが存在しています。3扉車は旧性能車からの伝統ともいえるデザインで、これらの車両群が主力であった頃にこうした形式に扉位置を合わせる形として採用されてきました。1977年に登場した2000系は戦後まもなくに導入された国鉄モハ63形の401系を例外とすれば西部初の4扉車となっています。3扉車が主体の西武に4扉車を導入したのは、新宿線の駅間距離が短く頻繁に停車するために停車時分を少なくする事と、当時はホームの有効長が6両しかない駅が多数あったため増結しないでラッシュに対応する狙いがあったといわれています。当初は新宿線限定でまず17本が製造されました。しかし4扉の2000系の製造は一旦打ち切られて3扉の新101系や3000系が量産される事となります。これは当時4扉車の位置付けが新宿線のラッシュ対策と認識されていたためで、当時の西武としては3扉車が標準的な通勤車という考えであったため池袋線へ投入される分については2000系ではなく新101系でしたでした。このため界磁チョッパ制御で電気指令ブレーキと新機軸を盛り込んで新101系とは併結不可能な2000系でも車体の構成は基本的に101系と同じものとなっていました。しかし新宿線も池袋線も混雑度が増してくるようになると4扉車が再び注目されるようになり、1988年に2000系のモデルチェンジ版の新2000系が増備されて、これ以降の新造通勤車は4扉車となりました。こうして3扉車は徐々に勢力を縮小されていく事となりますが、その中でも3000系は車体が101系準拠、足回りが2000系準拠であるものの、放送や行先表示などの補助機器が2000系とも規格が違っているので併結は不可能で、基本的に8両編成しかない3000系単独のみの運用は非常に制約のあるものとなっていましたした。やがて2004年に旧101系が幹線系統から撤退したのち2010年に全廃、新101系も2012年に幹線系統の運用からは撤退して、現在は支線系統のワンマン運用に残るのみとなり、3000系が幹線系統の普通運用に細々と残るだけとなってしまって、西武の幹線一般通勤車は2000系以降の9000系、6000系、20000系、30000系の4扉車が主体となっています。このうち9000系は1993年に101系の走行機器を流用して新2000系の車体を載せた4扉の車体更新車ですが、後に足回りを20000系にあわせたVVVFインバータ制御に振り替えています。
 他には東武と京急、近鉄、名鉄、西鉄が挙げられますが、東武は東京メトロ日比谷線直通用の2000系や20000系列が3扉となっていますが、日比谷線の規格にあわせた18m車体3扉としたものでこの運用限定となっており、20m4扉車を運用する本線系統とは完全に分けられています。またかつて小型旧性能車を更新した18m級車体の3000系列や旧5000系も車体長の関係で3扉を採用していました。近鉄は近距離の一般運用は4扉で大阪市内〜名張以遠の快急や急行系統の遠距離運用は3扉クロスシートを採用して性格の違う運用に分けて投入していて、名鉄では東武とは逆となり18m級3扉車が本線系一般運用の基本で、名古屋市営地下鉄との直通運用には20m級4扉車の100系(200系)や300系を導入していて、こちらも運用の住み分けができています。
 西鉄は5000形までは3扉でしたが、1993年登場の6000形より4扉となりました。2000年には2両組成の7000形が登場し、これも4扉が採用され、2003年には同じく2両組成の7050形が登場しています。この7050形はなぜか3扉車として登場していますが、色々調べても3扉になった理由がはっきりしていません。甘木線などの2両編成ワンマン運用では7000形と7050形は共通で運用されていますが、本線系統である天神大宰府線の2編成併結運用では7000形と7050形が連結で運用されることは原則として無いようです。

 西鉄の扉の数の差について後に調べたところ、6000形が4扉で登場したのは、この頃西鉄最大のターミナル駅である西鉄福岡(天神)駅の改築工事が始まり、今まで3線3ホームでの営業していたものが、2線2ホームで列車を捌かねばならなくなり、折り返しの乗降時間を少しでも短縮する目的で、4扉車を採用したとされています。また7000形も甘木線などでのワンマン運転のほかに、6000形の増結車としての意味合いもあり、同じく4扉車体が採用されました。しかし1997年に懸案であった西鉄福岡(天神)駅の改築工事も終わり、現在では3線4ホームとなって4扉車の必要性も薄まり、今後の増備車は3扉で行っていくようで、7050形が3扉で登場しています。3扉であった甘木線の600形ワンマン車の置換えとして製造されたから7050形が3扉になったという意味合いもありますが、前述の方針も考慮されていると思われます。
 京急は普通車のラッシュ対策で停車時分短縮を目的として4扉車を採用しましたが、これが主力となる事は無く、あくまで4扉は異端の形式である点が他の私鉄と異なります。名鉄も4扉は異端の存在ですものの、名市交との相互直通がある限り4扉の後継車両が出てくるでしょうが、京急では700形と800形だけが4扉で全車は既に全廃し後者も廃車が進んでいますが、後継は3扉の新1000形であり800形が淘汰されると京急4扉車の短い歴史は幕を閉じてしまいます。18m級車体で4扉は少し無理があったようで、700形が非冷房だった頃は扉と戸袋部が多くなってしまい、開閉できる窓が減って真夏は車内温度が高くなるので、不快だったといわれています。また800形は3両一単位で他車には無い構成となっていて前面も非貫通なので都営区間に乗り入れることができないので4扉という以外でも異端の存在となってます。
 また現在は4扉に統一されましたが京王電鉄も2011年まで井の頭線で3扉車と4扉車が共存していました。京王線でも1996年まで同様の状態でした。これはどちらも輸送力改善のために18m級3扉車から20級m4扉車へと発展したためで置換え途上に両者が存在していたためです。3扉最後の形式である井の頭線3000系は1962年から1991年までと長期にわたって製造されていて、1995年登場の後継車1000系登場後も経年の浅い車両は更新工事を受けたため、両者が比較的長期間共存する事となりました。
 2扉と3扉が存在する例が神戸電鉄で、1970年代前半まで製造された1000系列の初期車が2扉でしたが、1970年代後半から製造されたグループは混雑緩和のために3扉とされました。当初2扉車が主力であったのは急勾配急曲線の多い神鉄でホームと車体中央部が離れる部分ができるのを避けた処置といわれていますが後のラッシュ対応のために3扉を採用したといわれ、2扉初期車は廃車が進みつつも2013年時点では現存しています。比較的小型であったので4扉にはなりませんでしたが、流れとしては他の事業者と同じものといえます。

表12.各事業者の標準的車体長と扉数
会 社 名 車体長 扉数 備 考
東武鉄道 20.0m 4扉 ※1
西武鉄道 20.0m 4扉 ※2
京成電鉄 18.0m 3扉   
東急電鉄 20.0m 4扉  
京王電鉄 19.5m 4扉  
小田急電鉄 20.0m 4扉  
京浜急行 18.0m 3扉 ※3
帝都高速度交通営団 各路線による 各路線による ※4※5
相模鉄道 20.0m 4扉  
名古屋鉄道 18.8m 3扉 ※6
近畿日本鉄道 20.7m 4扉 ※7
阪急電鉄 19.0m 3扉  
京阪電鉄 18.7m 3扉  
南海電鉄 20.7m 4扉  
阪神電鉄 18.9m 3扉  
山陽電鉄 19.0m 3扉  
神戸電鉄 18.1m 3扉 ※8
西日本鉄道 19.5m 4扉 ※9
日本国有鉄道 20.0m 4扉 ※10

注1、各事業者の幹線系統の車両の標準的な仕様でこれに当て嵌まらない形式が存在する場合もある。
注2.基本的に中間車の車体長を掲載。

※1.日比谷線直通系統に3扉の20000系列、伊勢崎・日光線系統に2扉の6050系列が存在。
※2.支線系統に3扉の新101系、秩父線系統に2扉の4000系が存在。
※3.4扉の800形が存在
※4.現東京地下鉄(東京メトロ)
※5.車両数としては20m級4扉が最多。
※6.名市交直通用に20m級4扉の100系・200系・300系が存在。
※7.中長距離一般車用に3扉の5200系が存在。
※8.1000系列の一部が2扉車で1100形・1300形が該当。
※9.天神大牟田線の一部と貝塚線に3扉車が存在。
※10.国鉄の通勤型電車の標準。ただし3扉の105系も存在する。

 車体長については先頭車と中間車によって違う場合もあり、その場合には扉の位置が若干ずれる事もあります。これは運転台位置を中間車と同じ長さの中に収めるか運転台部の長さを延長して組み込むかの差によって変わってくるからです。運転台分を延長して中間車よりも先頭車が若干長くなる例は扉位置と定員を中間車と変わらないように配慮したもので、先頭車と中間車が同じ長さの例では鋼体などの設計を極力あわせたり、建築限界の関係でそれ以上車体を大きくできないといった理由によるものです。車体長が同じな場合は運転台直後の扉位置が中間車のそれとは僅かながらずれる可能性があります。ずれないように工夫したものとしては中間車の両端の扉を若干内側に寄せて車端部の是席や立ち席スペースを大きくとり、先頭車はこうした空間から運転台スペースを確保して扉位置に干渉しないようにします。
 名鉄の6000系はセミクロスシートだったので座席配置の関係上運転台後ろの扉位置が中間車の同位置扉とずれていますが、6500系ではセミクロスシートの座席配置を変更したので、先頭車も中間車も扉位置は同じになりました。近鉄と南海は中間車の扉と窓の配置が左右対称ではないので、一部先頭車の運転台直後の扉が若干ずれる場合があります。ただいずれも1mもない差なので整列乗車の支障になるというほどではありません。
 また名鉄では横方面ではなく縦方面で微妙に他車と扉位置がずれた車両が存在しました。1963年に登場したパノラマカーシリーズの7500系で更なる高速化を図るべく車体重心を下げて高速走行時の安定性を確保する目的で、床面高さを従来車両より110ミリ低い990ミリとしました。名鉄のプラットホームの高さは960ミリが標準でその高さに近い7500系は従来車よりも乗降しやすい車両といえました。しかし近年のバリアフリー化の観点から名鉄ではプラットホームの高さを1070ミリに統一する計画を打ち出したためにそれよりも床面が低い7500系は車齢の高さと2扉クロスシート車という事もあり廃車となってしまい、当時の先進性が逆に仇となってしまった例といえます。国鉄やJRではその歴史や全国的な規模なためにホームと車両扉の高さが一致せず、電車や客車・気動車の床面高さが統一されていなかったりして、扉部分にステップを設置して対処していましたが、大手私鉄では規模が大きいといっても国鉄ほどではなく車両も旅客営業を行うのは電車だけで、小田急や東武、名鉄、南海に存在した僅かな気動車にステップが設置されいましたが、これは特殊なものといえます。通常の車両ではステップを設置するほどの車両は無く、このような理由で引退する形式は大手私鉄では稀といってよいでしょう。

 車体のデザインにおいて扉の数や位置を合わせるのはその鉄道会社の輸送の考え方の一部を象徴しているといえます。なるべく統一するのが好ましいといえますが、そこに至るまで系譜として違う配置の車両を作り出すというのも不自然なことではありません。京王のように車体の大型化に合わせて、或いは西武のように車体規模は同じながら3扉から4扉へとシフトしていく過程を表わす方法もありますし、ワンマン化を見越したり車内レイアウトの変更で扉位置の変更というのもありえます。最終的には統一の方向に持っていくにしても、試行錯誤や紆余曲折があった歴史が存在した方が架空鉄道としては面白いといえるでしょう。上手に演出できればこのように扉一つでもこのように時代の流れを演出できるのです。車体の見た目でも目立つ存在であるので、扉で車両の個性や時代の流れを作り出して架空鉄道の存在に重みを持たせてみましょう。

種類ある特急車の扉
 特急用車の扉はラッシュのような短時間で多人数の乗降を考慮しなくても良いので、多くの種類が採用されています。2扉デッキ付きが基本ですが、一部車両でトイレや洗面所などを片方に設置して1扉になったり、ごく稀ですが乗降扉が無い車両も存在します。扉の幅もそれほど広くないものも多くなっている場合もあり、その分座席を多く確保して着席定員数の増加に努めています。
折り戸
 私鉄有料特急車の基本ともいえる扉の形態です。最初に折り戸を採用したのは東武1720系“DRC”で、他に西武5000系や小田急7000系“LSE”から20000系“RSE”まで、京成AE系(初代)、名鉄キハ8200系と1000系“パノラマSuper”、近鉄10000系“ビスタカー一世”から21000系“アーバンライナー”まで、南海の20000系と30000系及び31000系“ズームカー”ならびに11000系、南海線の10000系“サザン”と多くの形式が採用しています。折り戸は開口部が狭いですが車体構造が簡単になり戸袋のスペースが必要なくなるので、静寂を必要とする客室内に作動音が発生する扉の開閉を持ち込まなくて済む利点があります。しかし最近では後述する引き戸やプラグドアに取って代わられる場合が多く、21世紀に入ってからの鉄道特急車両の採用例はないようです。
片開き引き戸
 一般車では高性能車初期辺りまで普通に使われていた扉の形態ですが、特急用車両ではあまり採用されていません。東武200系や1800系、西武10000系、京成AE100形とAE形(二代目)、小田急30000形“EXE”、60000形“MSE”、名鉄7000系列、近鉄21000系“あおぞら”、南海12000系“サザン・プレミアム”が採用しています。特急車としてはそれなりに扉開口部を広くとることができ、ビジネス向け優等車両などに使われる例が多いように見受けられます。西武や小田急、南海など折り戸から置き換えられるものもあり、これも恐らく開口部を大きくとろうとした結果でしょう。
プラグドア
 最近の車両で採用されつつあるのがプラグドアです。東武100系“スペーシア”や小田急50000形”VSE”、近鉄の22000系“Ace”以降の特急車、南海50000系“ラピート”に採用されています。プラグドアの利点としては扉が閉じた時に側面と扉の段差が無くなり見た目の美しさや空気抵抗や風切り音の減少や戸袋の廃止による車体構造の簡略化のが挙げられ、欠点として扉の構造が複雑なために故障や多かったり、故障を防止するためのメンテナンスコストが掛かる点があります。このためか近鉄を除いた各私鉄は一度プラグドアを採用したものの、その後の車両には採用していません。鉄道としては新型の路面電車に多く取り入れられていて、ボンバルディアの超低床車がプラグドアを積極的に採用しています。また乗降用扉としては採用されていないJRや大手私鉄の一般型通勤車両でも、前面扉にプラグドアを採用している例が多くあります。こうした使用例は前面扉を通常は車両間の移動に使わない非常用の扉として用いている場合で、使用頻度が低いのとプラグドアの特徴である扉と前面廻りとの段差を無くして空気抵抗を減らしデザイン上も良くなる点で採用されています。
 架空鉄道としては見栄えがよく他の一般車との差別化が容易なプラグドアは、ぜひとも積極的に採用したいものです。構造の複雑さやメンテコストの高さも架空鉄道では「扱いにくいシステムではあったが技術力によりクリアした」と苦労話の一文を載せてみて話の奥の深さを強調するのもよいかと思いますし、その形状の未来っぱさから次世代車両をイメージさせる事もできます。現実世界の大手私鉄有料特急車では今一つ人気の無いプラグドアですが現実よりも無理なく一歩先を行く存在として存在させる事ができるでしょう。
両開き引き戸
 現代の通勤車の標準的な扉ですが、実は有料特急車にも両開き引き戸は存在します。名鉄の1600系(現:1700系)や2000系“μスカイ”、2200系、近鉄の20000系“楽”が挙げられます。これは戸袋部分を二箇所設置する必要はあるものの一つあたりは小さくできる効果があり、また乗降客が一度に固まる名鉄が通勤ビジネス客向け、近鉄が団体向けの車両なので両開き扉が採用されました。とはいうものの一般通勤車の両開き扉と比較すると扉の幅は決して広くは無く、あくまで特急用としては広いという程度です。ちにみにJRにも両開き扉の特急車は存在していてJR東海の373系が両開き扉を採用していますが、これは特急から快速・普通まで幅広く運用させるためのもので、デッキと客室を隔てるデッキ扉もありません。
手動扉
 意外に思われるかもしれませんが、手動で開閉する乗降扉が存在してました。過去形で語ったように現存はしていません。小田急の3000形“SE”及び”SSE”と3100形“NSE”が該当しますが、開閉機能が無いですが流石に走行中は扉をロックして開けられないようにする機能は付いていました。基本的に扉の開閉は車販クルーが行っていて、お持て成しの意味合いもあったようです。また一部の車販クルーが乗務していない列車は重客がロックの解除された扉を直接開閉をしていました。今ではありえない方式ですが当時はまだ国鉄線上に手動扉の旧型客車群が多数存在し、寝台特急でも20系までは開閉自体は手動でした。このような情勢で上質な特急列車としてスタッフが乗降口で出迎えてくれるというサービスを行うのであれば、手動でも低い接客設備とは思えず、むしろ特急に相応しいものといえるでしょう。ただ有料特急列車が一般的になってきた昨今では費用対効果などあまり見合わないサービスとなってしまい、よほどの高級列車で無いとこのようなシステムは浮いたものとなってしまうでしょう。
戸袋窓 消え行くデザイン
 戸袋とは扉が開いた時に扉が車体に収まる部分をいいます。かつては戸袋の部分にも窓があり車内への明り取りの一部を担っていました。しかし近年では車体製造の簡略化や強度の確保、腐食防止のために戸袋部の窓がなくなるケースが増え、近年導入された車輌では戸袋窓はまずありません。例外として東武20050系と東京メトロ日比谷線03系の5扉車が戸袋部に窓を備えていますが、18m級の短い車体に5つの扉を設置したためで、通常の窓をレイアウトする余裕が無いために戸袋窓を復活させて明り取りとして通常の側面窓と戸袋窓とを兼ねていて、扉間の窓はこの戸袋窓しかない上に一つの窓が両側の各扉の戸袋となっています。ちなみに東急やJR東日本が採用している20m級6扉車の場合は戸袋窓は設けず戸袋間にある僅かな空間に小さな測窓を置いています。
 戸袋窓がなくなってきたのは両開き扉が採用されてきた頃からといえます。これは片開き扉は開口面は両開き扉とそれほど変わらないとはいっても扉を収納する戸袋部は一箇所に集中して窓がない部分が大きく偏り、両開き扉は開口部の両側に半分の面積ずつに分散されます。このため車体のデザイン的にはバランス良く空間が振り分けられるようになり、側面窓の部分も車体に均等に配置する事ができるようになり、戸袋窓を省略するきっかけになったものと思われます。多くが両開き扉導入時に戸袋窓を省略するようになり、西武と小田急、京王、京急、京阪以外は両開き扉採用と同時に戸袋窓を廃止しました。(時期については表11を参照)
 両開き扉採用時点で戸袋窓が残った事業者も西武は1977年登場の2000系で一旦廃止されたものの1979年登場の新101系では戸袋窓が残り、1988年登場の新2000系でも戸袋窓が復活して、1997年登場の6000系第6次車で再び戸袋窓が廃止されます。小田急は2000年登場の3000形第2次車から、京王は1995年登場の井の頭線1000系、京王線は2000年登場の9000系、京急は1988年登場のアルミ車体採用車から戸袋窓が廃止され、京阪も1650系導入時点では戸袋窓は残りましたが、次に登場した2000系からは戸袋窓は廃止されて1650形も600系に編入された後に1800形に改造された過程で戸袋窓は埋められました。こうした後の改造や更新工事で戸袋窓を埋める例は103系などJRでは良くみられますが、大手私鉄では戸袋が残った両開き扉車が少ないせいか京急1500形と西武新2000系で実施されたくらいです。京王や小田急では小田急8000形を除き全てがステンレス車で車体腐食しないので、戸袋窓を埋める必要もないために残置しています。小田急8000形は鋼製車ながら更新工事を受けたあとも戸袋窓は残っています。
 2000年以降の車輌は戸袋窓を廃止したデザインとするのが自然な流れでしょう。2000年までの車輌も戸袋が無いものをデザインするのが普通なのかもしれませんが、戸袋があるデザインも残っている実例があるので事業者の個性の範囲として使うことができます。地域性というわけではありませんが戸袋が残ったのが関東に集中している点も見逃せないと思います。戸袋窓の有無で車体側面の印象は大きく変わります。最初は戸袋窓があって、更新工事で埋めるとそれだけで2種類の車体ができる事になります。画像処理としては比較的簡単な作業で形式内の車輌バリエーションを作り出せるので、関東地区をイメージしなくともある程度の時代までは戸袋窓のある車輌を採用して、更新工事を行うというのも変化を付けられて良いかと思います。

エネルギーを得る集電装置 パンタグラフなど
 パンタグラフは集電装置の代名詞のような言葉ですが菱形の収縮する道具の事で、これが鉄道車両に使われる集電装置と良く似ているためにそう呼ばれているのは良く知られる話です。しかしあまりに鉄道用集電装置としての言葉として定着していて、今では明らかに菱形ではないものでもパンタグラフと呼ばれていたりするので、ここでも普通にパンタグラフという名称を使います。
 パンタグラフには形式など細かい種類がありますが、大雑把に括ると菱形パンタと下枠交差型パンタ、シングルアームタイプパンタと3種類に分類されます。パンタグラフ以前にトロリーポールやビューゲルなどが存在していましたが、戦後の大手私鉄では路面用など一部の車両を除いてパンタグラフが使われていました。
 菱形のパンタは比較的単純な作りであり架線への追従性も良好な事から、長らく標準的な集電装置として使用されてきました。後に下枠交差型が登場してからも製造コストが安く構造も簡単だということで採用し続ける事業者も多く残っていました。しかし近年ではシングルアームパンタが採用される例が増えてきて2010年以降で菱形パンタを新規採用する事業者はほとんど無くなり、更新や検査時に下枠交差型やシングルアームタイプに交換される例もありますが、全体的にみると今でも一大勢力を保っています。
 下枠交差型パンタは菱形パンタを小型軽量化したもので、新幹線の0系が始めて採用した例にあるように、小型化したことによって空気抵抗が少なくなり高速運転に適したものとなりました。大手私鉄ではこの高速化の利点はその運転形態からほとんど受ける事はありませんでしたが、省スペースで済むので分散型や集約分散型のクーラーなどを配置する際に重宝されました。しかし枠の長さが短いので架線への追従性が菱形に比べると悪く、特にそれが低速や中速時の追従性が弱いのでその速度域を重視する通勤電車としては問題ともいえて、あえて採用しなかった事業者も存在します。
 シングルアームタイプパンタは近年普及しつつあるパンタグラフで新造される形式のほとんどがこのタイプのパンタを採用しています。最大の特徴は枠の部分を簡素化して部品点数を減らして軽量化と製造・補修コストを軽減させ、下枠交差型と同じ様に折りたたんだ際のスペースが少なくできるなど従来のパンタと比べて利点が多いので、多くの事業者で使われるようになっています。また枠の部分が小さいので、降雪時に雪がパンタに積もった重みで勝手に下がってしまう可能性が少なく、また強風時にも風に煽られる事故も少ないので、前述のように従来型のパンタからシングルアーム式パンタに置き換える事業者もあり、小田急では全車の集電装置をシングルアーム式パンタに置き換え、JRでもJR東海が在来線のパンタをシングルアーム式パンタに置き換えました。(イベント用に残存した117系とキヤ95の検測用パンタを除く)
 後述の表では山陽が唯一シングルアーム式パンタを採用していませんでしたが、これは1997年〜2000年以降に新造車を投入していないためで、それ以後に車両を新規調達していればシングルアーム式パンタを採用していたと思われます。
 この3種以外の集電装置が第三軌条式です。初期の地下鉄で多く使われている方式で車両の上方に架線と集電装置を置くのではなく、線路脇に電力を供給するレールを配置して車両の台車に取り付けられた集電靴から電機を得るもので、屋根上のスペースを少なくすることができるので、地下鉄のトンネル断面を小さくして建設費を軽減させる事ができました。レールに柔軟性が無いので高速運転には向きませんが、地下鉄では高速性が求められないため一時期普及しました。近年では郊外電車との相互直通を行う場合があり建設費も思うほど安くはならず、通常の架線方式が採用されています。大手私鉄では第三軌条方式の大阪市営地下鉄中央線と相互乗り入れを行うべく開業した近鉄けいはんな線の7000系及び7020系のみが第三軌条式を採用した形式となっていて、大手私鉄としてはかなり特殊な事例だといえるでしょう。
ちなみに近鉄けいはんな線の最高速度は95キロとなっています。

表13.各事業者の下枠交差型パンタとシングルアーム型パンタの初採用年と形式
会 社 名 下枠交差型パンタ シングルアーム型パンタ 備 考
採 用 年 形 式 採 用 年 形 式
東武鉄道 1969年 1800系 1996年 30000系 ※1
西武鉄道 採用例無し −−− 2000年 20000年
京成電鉄 1982年 3600形 2003年 3000形 ※2
東急電鉄 採用例無し −−− 1999年 3000系
京王電鉄 採用例無し −−− 2000年 9000系
小田急電鉄 1987年 10000形 1996年 30000形 ※3
京浜急行 採用例無し −−− 1996年 600形50番台 ※4
帝都高速度交通営団 採用例無し −−− 2002年 05系11次車 ※5※6
相模鉄道 採用例無し −−− 1999年 9000系4次車 ※7
名古屋鉄道 採用例無し −−− 1997年 3700系
近畿日本鉄道 1979年 3000系 2000年 3220系
阪急電鉄 1971年 5100系 1995年 8200系
京阪電鉄 1970年 2400系2次車 1997年 800系 ※8※9
南海電鉄 1969年 22000系 2001年 1000系50番台
阪神電鉄 1970年 7001・7101形 2006年 1000系
山陽電鉄 1972年 3050形 採用例無し −−−
神戸電鉄 1973年 3000系 2008年 6000系
西日本鉄道 1972年 700形 2005年 3000形
日本国有鉄道 1967年 711系 2000年 701系5000番台 ※10

注1、量産車として初採用した形式を掲載。

※1.1995年に10050系の1編成にシングルアーム式パンタを試験的に搭載。
※2.2002年に3500形の1両にシングルアーム式パンタを試験的に換装。
※3.後に全車がシングルアーム式パンタに換装。
※4.形式単位でシングルアーム式パンタを初採用したのは1998年登場の2100形。
※5.現:東京地下鉄(東京メトロ)
※6.形式単位でシングルアーム式パンタを初採用したのは2003年登場の08系。
※7.形式単位でシングルアーム式パンタを初採用したのは2002年登場の10000系。
※8.形式単位でシングルアーム式パンタを初採用したのは1971年登場の5000系。
※9.京阪本線形でシングルアーム式パンタを初採用したのは2008年登場の3000系(2代目)。
※10.国鉄型在来線用電車では下枠交差型パンタを採用したのは711系のみ。但し機関車では多数採用している。

前パンとダブルパンタ
 かつての電車はそのほとんどが運転台のすぐ上にパンタグラフのある、いわゆる前パンでした。これはパンタグラフの上げ下げを紐に繋がったフックを動かして動作していたので、運転台から直接操作するには直上に設置されていた方が便利だったからだと思われます。戦後しばらくしてから編成が長くなり一斉に幾つかのパンタを動作させる場合が多くなってきて、必ずしも運転台の近くに無くても良くなってきたために次第に前パンが減ってきたのでしょう。
 あくまで傾向としてで地域性として明確な理由があるというわけではないのですが、関西私鉄に前パン車が多く関東私鉄には少ないように見受けられます。現状では関東には小田急、京急、京成、相鉄には前パン車が無く、東武、西武、京王には前パンが存在しますが、2両編成の増結用に使われる編成が主体となっています。東急では近年まで前パンの7600系と7700系の一部改造編成が1編成ずつ存在していましたが、いずれも2010年に廃車となり東急本線系統からは前パン車は消滅しました。ただ軌道線である世田谷線の300系は前パンとなっています。一方名鉄と西鉄を含めた関西では山陽を除いた全私鉄で前パン車が存在しています。特に京阪や阪急では8両編成などの長編成にも前パン編成が存在するなど積極的に採用しているようにもみえ、近鉄と南海には前パンの特急編成が運用に就いています。近鉄は前パンだった21000系“アーバンライナー”や30000系“ビスタカー”がそれぞれ“アーバンライナーplus”と“ビスタEX”に更新された際に運転台直上のパンタが撤去されて特急車の前パンの系譜は断たれたかと思われましたが、2009年に22600系“Ace”がシングルアームパンタの前パンで登場しました。少数派となっているのは名鉄と阪神で名鉄は現在1700系4本のみが前パンで運用されています。阪神は1000系増結車2両編成が前パンを装備していますが、パンタを神戸寄りに搭載していて増結編成は近鉄奈良方に連結されるので、普段は前パンを先頭に運用されることはまず無いようです。また西鉄は本線形である天神大牟田線では7000系・7050系、3000系2連増結車に前パンが存在しますが、貝塚線には600形と313形と前パンの形式が主力となっています。
 近年登場した前パンの形式には多くの場合にある一定の法則があります。それは1両に二つのパンタが載っている所謂ダブルパンタだということです。パンタが2基載っているとパンタつき先頭車はどうしても前パンが発生するわけですが、関東私鉄ではパンタ付きの車両は基本的に中間車に設定しているのでほとんど存在しないようになってきます。そして東武、西武、京王に前パンが存在するのは増結や小運転用の2両編成が存在し、2両ではどうしても当然の事ながら中間車は無く先頭車にパンタを設置する事になるので、結果として前パン車が登場する原因となります。それでは何故1車両にパンタを2基搭載する電車が増えたのでしょうか。それは近年の車両が冷房を搭載したり各種機器の電子化による使用電力増大への対処、離線によるスパーク発生や回生失効防止対策、静止インバータも瞬間停電にきわめて弱いために、高圧引き通し線で両パンタを繋ぎ片方が離線しても瞬間停電が発生しないようにしています。そして冬季の霜取りパンタが挙げられます。多くの場合は一番目の使用電力増大が主な理由となっていますが、回生失効対策も重要な問題となっていて弛まない剛性架線を使う地下区間を運用する形式では特に重要なものとなってきます。離線対策の例としてJRではありますがJR西日本のJR東西線を介して学研都市線とを福知山線の結ぶ運用では地下区間であるJR東西線へ入線する際に両端の駅である京橋と尼崎では畳んでいたもう1基のパンタを上げ下げさせる光景が見られます。霜取りパンタとしてパンタを追加した事例は大手私鉄としては、東武日光線用の6050系や5000系列が挙げられます。霜取りパンタは厳寒期に架線に付着した霜を取り除くために設置された集電を目的としないパンタグラフで、架線に霜が付着していると離線と同じ様な通電しない状態が断続的に発生してしまい架線やパンタグラフを破損する場合があるので、通電していないパンタで物理的に霜を取り除いて良好な通電状態を保ちます。

 こうしたダブルパンタは近年の大手私鉄車両ではスタンダードとなっているといえますが、ダブルパンタ搭載車を保有しない事業者としては京王、相鉄、名鉄、神鉄が挙げられます。このうち関東2社は編成単位で高圧引き通し線で繋いでいるのでさほどの問題は無く、京王の2両編成分は2両ともパンタを搭載する事によってダブルパンタと同等の効果を持たせています。相鉄では新鋭車の11000系が2号車のモハ11100形に予備のパンタを搭載していてダブルパンタとなっていますが、これはJR東日本のE233系ベースにしているためで、原形車と同様あくまでも予備パンタであるため、通常はこの車両でも1基のパンタを使用しています。また名鉄においても特急車である1600系は離線対策として3両編成のうち電動車が1両付随車2両という構成で中間付随車であるサ1650形にもパンタを搭載していました。こうして1車輌2基のダブルパンタ搭載の車輌が増えていっているものの、1基しか搭載していない車輌も依然として存在します。なので理由をきちんと設定すればどちらの方式でも問題ないと思われます。

パンタの位置
 パンタグラフなど集電装置は読んで字の如く電気を取り電車を動かすためのもので、基本的に電動車とついななるものです。しかし新性能車登場以後は走行機器を電動車2両に分散したMM´ユニット方式を採用して、この2両のうち1両にパンタを搭載するものが主流となってきました。これだとパンタを搭載する電動車と搭載しない電動車が混在する事になります。新性能車でも必ずしもユニットを組んでいるわけではなく1両だけで完結するものもありますし、組成変更で中間に付随車を挟み高圧引き通し線で繋いだ変則編成も存在します。前述の前パンの代わりに電動車ユニット両方にパンタを搭載するものもありますが、こうした場合も原則としてパンタは離して設置します。これはパンタが隣接していると万一破損したときにとなりのパンタも巻き込む可能性があり、また通常時でも2つのパンタの押上げ力が架線に過大に掛かって離線を誘発する可能性があるためで、必ず起こるというものではないもののリスクを少なくする意味合いで離しています。また前述の名鉄1600系や京急2100形及び新1000形、京王1000系の初期車の一部のように何らかの理由があって主電動機を持たない付随車にパンタを設置する場合もあります。ユニットで一つのパンタを設置する場合はユニットの内側、つまりMM´ユニットの連結面側にパンタを設置する例が多いようです。これの明確な理由を記した資料は見つかりませんでしたが、恐らく引き通し線を極力短くしようとしたためかと思われます。まあ絶対に内側にしないといけないというわけでもなく、実際にユニットの外側にパンタを設置するものも見受けられるので、内側への設置がスタンダードという認識で以ってデザインするのが良いと思います。
 屋根上の集電装置は一部の路面電車を除いて車端に設置されているのはパッと車体を眺めただけでもよく判るかと思います。しかし側面をもっと良く眺めてみると集電装置の中心位置と床下の台車の中心線が一致するのに気付くかと思います。これは電車が曲線に差し掛かった時に集電装置が架線から離れないようにするために採られている措置です。車両長の長いボギー車だと曲線区間を通過する際に車体の中心部は線路間の中心部から一番大きく外れますが、台車の直上は常に線路間の中心線に位置します。これは車輪が線路から逸脱しないので当然の事なのですが、架線もほぼ線路の中心線上に張られていて(パンタシューの磨耗を均一にするために若干ジグザグに張られていますが)、これを確実に捕らえるためには線路の中心線を離れない台車直上が一番理想的な位置なのです。先に例外とした路面電車で車体中央に集電装置がある車両は二軸単車やボギー車でも台車間の距離が短いもので車体中心位置でも架線から逸脱する可能性が少ないために設置されたもので、車体が大型化された形式では集電装置を車端に設置しています。また小田急のロマンスカーに観られるような車体間に台車が設置された連接車では台車直上に集電装置を設置することが基本的にできませんが、こうした場合にはなるべく集電装置を車端ギリギリにまで持ってきて設置します。ちなみに連接車はその性質上、曲線通過時に外側へのはみ出しが少ないので台車に近ければ直上ではなくても大きな問題にはならないようです。

シングルアームパンタの向き
 シングルアームタイプのパンタは菱形や下枠交差形と違い左右非対称なのでパンタの向きによって表情が変わってきます。左右非対称ではありますが、路面電車で普及しているZパンタと同じくパンタの向きによって進行方向に影響が出ることはありませんので、走行性能に関してはどちらに向いていても支障はまったくありません。多くの場合は運転台面や妻面、つまり車端側に肘と呼ばれる真ん中の関節部が向くように配置されています。これは屋根上の機器配置によるものもあり、従来のパンタからシングルアームに交換したもので通常の向きで腕がヒューズや避雷器に干渉するのなら逆向きに設置される場合もあります。JRだと211系や201系、205系がこのように肘を車体内側にした配置にして、大手私鉄では小田急8000系など従来車からの改造車に多く見られます。しかし改造車では肘の方向を逆向きにした小田急も3000形や4000形は肘を車端に向けています。元々パンタのなかった付随車から改造された7700系7715Fには逆向きに搭載されています。新造車では編成単位でシングルアームパンタの向きを合わせる傾向があり、こうした編成はパンタ設置箇所も車両のエンド方向を統一しているものがほとんどとなっています。
 こうした例とは異なる例として小田急は特急車が編成の中間を境にシングルアームの向きが違う構成となっています。そして通常車体を持つ30000形“EXE”や60000形“MSE”は6両固定編成と4両固定編成が連結されたフル編成の中間で向きを変えるので、“EXE”は4両側の全てと6両側の貫通型先頭車寄りのパンタ1基が逆向きとなっており、“MSE”も4両固定編成と6両固定編成ではパンタの向きが逆向きとなります。名鉄では4両編成の一般車は編成中2個あるパンタはそれぞれ向きが違っていて、恐らくは4両編成が主体でパンタ位置が比較的近いために2個パンタのを向き合わせるのと同様の考えがあるのかもしれません。他社の場合は4両でも同じ向きのシングルアームパンタが並びますが、こちらは4両以上の編成も存在しているものと向きを統一しているためと思われます。
 2個パンタの場合だと新造車のほとんどが<_>のような配置となっていて、これも車端方向に肘を持ってくる配置によるものです。例外としては小田急50000形“VSE”と近鉄、阪神で小田急“VSE”は
>_<という配置となっていて、近鉄と阪神は<_<といった配置となっています。小田急は連接の場合には極力摺り板部分を台車中央部に寄せる意味合いがあるのと、パンタを畳んだ時にアーム部分が車体よりもはみ出さないようにしたためでしょう。こうしたレイアウトは大手私鉄には他に例はありませんが、屋根上に数多くの機器を配置する交直流車に見られ、つくばエクスプレスのTX−2000系やJR貨物のEF510が採用しています。しかし交直流車を多数保有するJRではシングルアーム2個パンタの交直流車は現時点ではないのでこのパンタの配置はごく少数派となります。
 近鉄や阪神の<_<のパンタの配置は2両組成のみで、これも他の4両以上で組成されている編成のパンタ方向に合わせたための配置だと思われます。
 一見無秩序に思われるシングルアームパンタの向きも調べてみると、ある一定の法則によって配置されています。こうした配置をした理由さえ見出せれば、パンタの向きだけでも様々なバリエーションを展開することができるでしょう。また法則はあるとは言うものの、明確な規定や法律が存在しているわけではないので上手く理屈をつけられれば説得力を持って変わったパンタの配置をすることが出来ると思います。

車内を明るく 客室窓
 かつての鉄道車両の側面客室窓は二段式の窓が主流でした。これは互い違いに二枚の窓を配置して下段の窓は上昇し、上段の窓は下降して窓を開けるというもので、車体に開いた窓を収めるスペースを作らなくて済み、車体の構成が簡単になる利点がありました、これは窓を全開にすることは出来ません。また二段窓でも上部に窓を収めるスペースを確保して全開出来るようにしたものもありました。これらのは窓が二段になっているので横方向に線が一本、なるべく窓を大きくして明かりを取りつつ車体強度を確保するために真ん中縦方向に一本線があるようなデザインとなり、窓全体が「田」の字のようにみえるデザインでした。吊り掛け車が主力の時代はほとんどこの形態の窓が採用されていて、当初から下降窓を採用していた阪急を除けば、名鉄の3500系(初代)などごく一部の車両が窓が一枚に見える一段上昇式を採用している程度で、こうした窓を採用していたのは、前述のような車体や窓自体がやや簡便になる事と、窓が小さくなるので重量を抑えられる点が挙げられます。こうした流れはカルダン駆動の初期新性能車にも受け継がれ、車体構造が大きく変化しても、窓は田の字形という車両が多くを占めていました。客室窓が大きく変わるのは、一段下降窓の採用でしょう。阪急では戦前より下降窓を採用していましたが、他の多くの大手私鉄では上昇窓を採用していました。阪急が下降窓を標準としていたのは、事故や窓の不具合で窓が落下した場合、上昇窓では割れたガラスが車内に飛び散る可能性があるのに対し、下降窓なら窓が落ちれば車体内部に入るのでガラスが飛び散るという事が無い点と、窓を開けた時に均等に外気が入るのを利点としたとされています。ただバランサーが就いていなかったので、窓を下ろせば一番下まで降りてしまう欠点はありましたが、これも1930年登場の900形でバランサー付き一段下降窓を採用して任意の場所で窓を止められるようになりました。この時代の車両ではあまり下降窓が普及していなかったことを考えると、かなり先進的だったといえるでしょう。

各事業者の二段窓以外の採用年と形式
会 社 名 採 用 年 形 式 注1 備 考
東武鉄道 1981年 9000系
西武鉄道 1988年 新2000系
京成電鉄 1982年 3600形
東急電鉄 1967年 7200系 ※1
京王電鉄 1972年 6000系
小田急電鉄 1972年 9000系
京浜急行 1978年 800形
帝都高速度交通営団 1981年 6000系 ※2※3
相模鉄道 1972年 5100系
名古屋鉄道 1957年 5200系 ※4
近畿日本鉄道 1955年 800系
阪急電鉄 1910年 1形
京阪電鉄 1983年 6000系
南海電鉄 1969年 7100系
阪神電鉄 1984年 8000系 ※5
山陽電鉄 採用無し ※6
神戸電鉄 1973年 3000系
西日本鉄道 1993年 6000系
日本国有鉄道 1959年 157系 ※7

注1.車体の素材を表わす。A=アルミ、S=ステンレス、F=鋼製。

※1.軌道線の東急世田谷線では1964年にデハ150形が1段下降式窓を採用。
※2.現:東京地下鉄(東京メトロ)
※3.マイナーチェンジ車の第3次車より一段下降窓を採用。
※4.雨水が溜まるなどによる車体腐食で、後に二段上昇式窓に変更。
※5.マイナーチェンジ車のタイプIIより一段下降窓を採用。
※6.一部固定窓は1993年登場の5000系増備車が採用している。
※7.157系では雨水による腐食に悩まされて、国鉄が本格的に下降窓を採用するのは
   1985年登場の205系まで待つ事になる

 各社の側面客室窓が二段窓から一段式などその他の窓になったのは結構開きがあります。そして東武や東急、京成などはステンレスやアルミの腐食しない車体で初めて下降窓を採用していますが、初めて鋼製以外の車体を載せた形式で下降窓を搭載した東武や、神鉄がある一方で、京成や東急、東京メトロ、京阪など二段窓のステンレスやアルミ車体をある程度採用した上で、下降窓を装備した車両を採用する例もあります。鋼製車であまり下降窓を採用していなかったのは、下へ降ろす窓だとガラス窓を収納するポケット部を設置する必要があり、ここにゴミや水が溜まりやすく、水や湿気により徐々に鉄部が腐食していく可能性が高いからで、実際国鉄の157系は雨水の侵入や冷房による結露で車体の腐食が進行して早期に廃車されました。名鉄5200系も車体更新時に二段窓に交換されて、モデルチェンジ車といえる5500系も新造時から二段窓を採用しています。しかしポケット部をステンレスにしたり、水抜き窓を付け、清掃などメンテナンスをしっかりと行う事によって、鋼製車でも下降窓を採用する事業者もでていて、西武や京王、小田急、京急、名鉄、南海、阪神、西鉄とそれなりに多くみられます。ただこれらの事業者も通勤用一般車は近年アルミやステンレスを採用するようになっていて、鋼製車は途絶えています。名鉄は一度下降窓から二段窓に戻していますが、7000系列の固定窓、6000系列の一段上昇窓を経て、1989年登場の6500系と6800系の後期モデルチェンジ車で再び一段下降窓を採用しています。
 この他の形態としては形式のモデルチェンジの途中で二段窓から下降窓に変更される例があります。営団時代の千代田線6000系は第3次車より、阪神8000系は第2次車といえるタイプIIから下降窓を採用しています。ちなみに国鉄205系も同じように二段窓で登場した先行量産車と一段下降窓になった量産車とマイナーチェンジが行われています。
 各社のその後ですが、名鉄は5500系の後に投入された7000系“パノラマカーは新製時に冷房を搭載している点は5500系と同様ですが、よりスマートは車両として連接窓と呼ばれる固定窓を採用しています。ただこれは特急車としての側面もあるので、固定窓の採用もそれなりに考えられる方向性ですが、1976年製の6000系、1978年製の100系も固定窓で登場しました。この2形式は純然たる通勤車ですが、車社会の東海地方に於いて、少しでもサービス向上させるのと豪華さをアピールするために固定窓と横引き布カーテンを取り入れました。しかしながら同時期に瀬戸線に導入した6600系は、同線の総延長や駅間距離が短い事や各駅停車としての運用が考えられていたので新造時に冷房は搭載されなかったために、固定窓ではなく二段式窓が採用されました。また本線系統の6000系も1980年製造の第5次車から固定窓を廃止して一段上昇式窓に変更されました。この変更は1970年代後半に起きたオイルショックにより、省エネルギーの観点からによるものとされています。これは後の6500系にも受け継がれ、6800系や6500系後期車の所謂“金魚蜂”で名鉄として初めて一段下降窓を採用し、通勤型鋼製車末期の標準仕様となりました。
 南海はステンレス車の6100系に下降窓を採用した後は7100系と21000系と2種の鋼製通勤車を製造しましたが、南海本線系もステンレスを採用する事となりました。ただ種類としては少ないですが7100系は一時期南海本線の主力と言える形式で数としてはそれなりの存在と言って良いでしょう。その後も腐食による不具合は特に聞かないので、適切な整備を行っていたものと思われます。近年では窓のガタが酷くなって着ているといわれますが、これは下降窓特有のものではないので、老朽化によるものといえるでしょう。
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 1960年代から通勤車両でも冷房装置を搭載するようになりました。これにより夏でも窓を閉めて運転されるケースが増えましたが、新製冷房車でも側面窓は開閉できるものが大半を占め、通勤車で固定窓としたのは前述の名鉄くらいでした。これは春や秋の冷房も暖房も使わない季節に対応するためと、万一の冷房装置の故障時に対処するためです。これはオイルショック後の冷房試用期間を短縮する傾向が強くなってからは名鉄も含めて、有料特急車以外で固定窓を採用する事業者は当分現れませんでした。通勤車に固定窓が本格的に普及するのは1990年代頃からですが、
 

<続く>