華のある存在 観光用特急車と団体専用車
 特急用車両の項目でも書きましたが、大手私鉄の特急用車両の基本は観光が目的といえます。こうした路線はライバルも多く、少しでも集客面で優位に立つべく様々な豪華で特色のある特急用車両を投入してきました。戦前や戦後間もなくは寺社仏閣や温泉が観光の対象で、そこへ鉄道を敷設する例が多くありその両方を抱える代表例として、東京の浅草から日光と鬼怒川温泉を結ぶ東武鉄道があり、戦後の高度経済成長時これにリゾート開発を含めたものとして近鉄の伊勢志摩の一大観光地化が挙げられ、両者とも当時の国鉄との熾烈な競争を行い、それに打ち勝ってきました。
 東武の場合、起点の浅草は山手線に接続しておらず、新宿や上野などと比べるとターミナルとしてはやや弱い面がありますが、国鉄の一等車並の座席とシートピッチを備えたデラックスロマンスカーを投入しフリースペースにはジュークボックスを備えて豪華さをアピールして、日本人だけでなく外国人観光客も取り込むことに成功しました。国鉄もキハ55や157系を投入し、準急としては異例の急行や特急並の設備を持った車両を投入しましたが、残念ながら東武のDRCには太刀打ちできませんでした。乗車時間は2時間程度なので食堂車などの本格的な供食設備はありませんが、六両編成中二箇所にビュッフェを配置して軽食を提供しましたが、新幹線でも一箇所だった事を考えると、乗って楽しんでもらうことを前提に設計された事が伺える例といえるでしょう。DRCで完全に国鉄を駆逐して日光・鬼怒川輸送を独占した東武は、1990年に後継となる100系“スペーシア”に置き換えます。100系も先達のDRCに負けないサービスを提供し、JRのグリーン車並のフットレスト付リクライニングシートとシートピッチを備え、ビュッフェは一箇所となりましたが引き続き軽食サービスが実施されています。旧来の1720系になかった室内サービスとしては個室が挙げられます。四人用でカーペット敷き、テーブルは大理石と豪華な空間を提供しています。近年リニューアルが行われましたが、レイアウト変更など大掛かりなものではなく、壁紙やシートモケット、カーペットの交換と塗装デザインの変更に留まっています。ちなみに2006年より開始されたJR東日本との特急「日光」「きぬがわ」相互直通運転の際には東武側は100系が室内は同じで投入されましたが、JR側は当初車齢の高い485系を改造したもので、なるべく100系のアコモにあわせるべく座席の交換とシートピッチを拡大を行いましたが、窓とシートの間隔が合わない上に普通車だけのモノクラスで、予備車の189系“彩野”編成はシートピッチは種車のままで座席もモケットを変えただけだったので、東武車に比べるとやや見劣りするものでした。2011年に485系を元成田エクスプレスの253系改造車に置き換えましたが、こちらもシートピッチを拡大したものの485系と同じく窓と座席との間隔が合わなくなっています。またグリーン車は種車の200番台には新宿寄りに存在しましたが、直通運用改造によりモノクラス化されて普通車となり運転台直後のグリーン個室は車販準備室に転用されてしまい、253系に置き換えられても東武100系並のアコモとはなりませんでした。
 小田急は古くから東京の奥座敷といわれる箱根を有し、戦前から温泉列車に力を入れてきました。戦後もいち早く箱根行きの観光列車を復活させましたが、この列車に新しい技術を取り入れた新鋭車両と投入すべく登場したのがロマンスカーSE車3000形です。戦前からの伝統であったロマンスシートや戦後まもなくに登場した1910形に設置された“走る喫茶室”と呼ばれた座席から軽食飲料を注文できるサービスを採用しつつ、低重心連接形という今までの日本型車両にはなかった方式を採用し、箱根への観光客増加の呼び水となりました。今までのスタイルから離れたSE車は大変好評で1963年にはSE車の増備モデルチェンジ車としてNSE車3100形が登場しました。3100形は3000形の塗装や低重心連接構造を踏襲しつつ、日本では名鉄7000系“パノラマカーに続いて二番目となる前面展望室が採用されました。この前面展望室は小田急ロマンスカー最大の特徴ともなり、その後のLSE車7000形やHiSE車10000形、VSE車50000形にも採用されています。LSE車ではNSE車と同じくSE車を踏襲しつつも、SE車以降では初めてリクライニングシートを採用しました。HiSE車では塗装を一新してロマンスカーのイメージを大きく変えました。内装としてはLSE車で採用したリクライニングシートは採用されませんでしたが、座席床面をかさ上げしたハイデッカー方式とし座席形状を改良して座り心地の向上に努めました。前面展望車の最新車であるVSE車はHiSE車以来の前面展望車としてフルモデルチェンジを実施した形式で、一時的に途絶えていた小田急ロマンスカーの伝統である前面展望を復活させて、新たなフラッグシップトレインとして登場しましたが、前面展望だけでなくHiSEよりも広いシートピッチや、やや窓方向に向いたリクライニングシートを採用したり、セミコンパートメントを設けたり、1995年に終了した“走る喫茶室”をVSEのみながら復活させて、近年の通勤ライナー的要素が強かった小田急の特急から乗る事の楽しみを追求した観光特急としてのサービスに再び重点を置いています。
 名鉄は長年代表する車両に“パノラマカー”がありましたが、これは小田急NSE“ロマンスカー”のように前面展望を売りにした優等用車両ですが、完全に観光用車両として作られたものではなく投入当初は豊橋〜名古屋〜岐阜の名古屋本線特急に充当されました。これは車社会である愛知・岐阜地区において鉄道に乗る魅力を持たせるべくデザインされた車両で、前面展望だけでなく5500系譲りの当転換クロスシートや当時はあまり普及していなかった冷房を採用して座席指定の有料特急列車の運用にも耐えうる内装を持つ車両となりました。パノラマカー7000系や7500系はその後も増備が続き支線系統の特急や一般運用にも使われました。名古屋本線以外の亜幹線では通勤輸送や都市間輸送の他に観光客も取り込む方策を採り、犬山や内海、蒲郡に従来から存在する城下町や海水浴場だけでなく、明治村やモンキーパーク、南知多ビーチランドなど新しい名鉄グループ主導の観光施設を建設しました。これらの観光地を結ぶ特急車両として製造されたのが800系“パノラマDX”で、従来のパノラマカーとは逆の展望室を運転席より上方に置いたハイデッカー方式を日本で始めて採用しました。この他にDXの名に相応しく4人用と2人用のセミコンパートメントやソファー型の座席のサロン室、ラウンジ室が設けられてパノラマメイツと呼ばれる客室乗務員が乗務していましたが、基本的に乗車時間が1時間以内だったためか供食設備はなく、清涼飲料水の自販機が搭載されるに留まりました。第1次車2両×2本から増備されて2次車2編成、そして中間車も追加されて3両×4本が在籍していましたが、観光や団体客への設備に特化したため通勤輸送での評判はあまり良くなく、3編成は中間車の座席がキハ8500系と同等の転換リクライニングシートに交換されてしまいました。新しい前面展望や豪華な設備で意欲的な観光輸送のあり方を猛者アクしましたが、結局車両の老朽化と観光輸送の縮小撤退により、“パノラマDX”の後継となる車両が作られること無く2005年に廃車となってしまいました。一応ハイデッカー前面展望を継承した1000系“パノラマSuper”がありますが、前面展望以外は通常の有料特急の設備となっており観光特急としての遊びの要素はあまり感じられません。
 近鉄は大阪と名古屋を結ぶ二大都市間輸送を基幹としながらも、伊勢志摩という近鉄最大の観光リゾート地を有しつつ京都、奈良、吉野と古都や歴史的な地方へも路線を伸ばしています。有料特急車は存在していましたが、明確な観光用特急車と呼べる車両は特に存在していませんでした。1958年に登場した初代ビスタカーは元々は名阪間に新性能車を投入し始めた国鉄に危機感を持ったために開発された車両ですが、関西と伊勢志摩を結ぶ叛伊特急に充当される事が多かったようです。
 ビスタカーは二階建て車両を編成内に持った特急車の愛称で一時期の近鉄特急を代表といえます。基本的に二階建て車両というのは1車両の定員を増加させるのが主たる目的で、これはJR東日本のE1系やE4系新幹線や在来線の215系、211系やE231系などのグリーン車はこれに該当します。しかし近鉄のビスタカーシリーズは定員増加としてはそれほど貢献しておらず、むしろ眺望目的が主となっています。ただ新幹線開業前に登場した二代目のビスタカー10100系や後述する団体用車両の20100系“あおぞら”号は眺望だけでなく一列車辺りの定員増加もダブルデッカー採用の一因としています。
 ビスタカーは三世代が存在しますが、走行機器の関係上全車がダブルデッカーというわけにもいかず、中間車を主とした一部車両が二階建ての構造となっています。初代は名阪特急を前提としながらも試作的要素が強かったために実際の運用としては前述のとおり叛伊特急に主として充当され、二代目のビスタカーは初代のデータを元にした形式で当初は名阪甲特急(所謂ノンストップ特急)に充当されましたが、国鉄の新性能車以上の存在となった東海道新幹線の開通によって所要時間はまったく太刀打ちできなくなり名阪間における近鉄のシェアが低下すると、新幹線を活かした接続駅の名古屋や京都から伊勢志摩を結ぶ名伊・京伊特急に転用されました。三代目の30000系は近鉄の牙城である伊勢志摩への観光特急を意識したもので、中間車2両がダブルデッカーとなり眺望の良い2階席を売りとしました。階下席はグループ客をターゲットとしたセミコンパートメントとなり、この部分の収容力はあまり意識されなくなり、こうした構造のため一階部分からの他車への通り抜けは出来なくなりました。三代目ビスタカーはリニューアルされて特に二階建ての中間車は大幅に手を加えられてまだまだ活躍が見られそうです。
 ビスタカーの他に近鉄ではスナックカーというサービスも行っていました。これは特急車の一区画に軽食を提供するコーナーを設けて小田急の“走る喫茶室”のようなサービスを行っていましたが、利用は低迷して1970年代半ばには廃止されてしまいました。観光需要を意識したというより新幹線に対抗するサービスとして実施されたものでしたが、こうした食事関係のサービスは手間が掛かる割にはあまり需要が無いようで、近年では近鉄も含めてワゴンサービスも縮小廃止される傾向にあり、有料特急の、特に観光列車必須のサービスのようにみられるだけに難しいものだと思います。
 伊勢志摩のリゾート計画は1990年前後のバブル経済時に巨額の投資を行ってテーマパークなどが開発されました。この伊勢志摩のリゾート地へのアクセスのために1994年に製造されたのが23000系“伊勢志摩ライナー”です。伊勢志摩へは従来からもビスタカーや各種特急が運用されてきましたが、明確にリゾートアクセス特急として企画されたのは伊勢志摩ライナーが初めてとなります。室内は22000系をベースとしたレギュラーカーとデラックスカーにくわえて、グループ客を見込んだセミコンパートメントを備えたサロンカーで構成されていて6両編成中デラックスカーとサロンカーが各一両づつ、残り4両がレギュラーカーとなっています。供食設備としてシーサイドカフェと称したカウンターが存在しましたが、ご多分にもれず利用客の減少で現在は利用されておらず2012年に行われた車内設備の更新工事でもスペースは残されたものの車販準備室として機能しているに留まっています。運転室後ろは乗降用扉のあるデッキとなっていますが、大きなガラス窓に隔てられて、身を寄せる事が出来るスタンドバーがあって前面展望を楽しむ事が出来るように配慮されています。
 伊勢志摩ライナーは2012年にリニューアルを施しましたが、更に上級のサービスを提供するリゾート特急が2013年春に運行を開始します。50000系“しまかぜ”はビスタカーを名乗ってはいないもののハイデッカー構造を持ち、個室タイプのサロン席、グループ席を持ち、それ以外の(この特急としての)一般座席は全てデラックスシートでレギュラーシートは存在せず、3号車は1車両まるまるカフェテリアとなっており、軽食主体ではあるものの実質的に食堂車といってよいものとなっています。前面はデラックスシートのハイデッカータイプの展望席で、編成全体がハイクオリティなデザインとサービスで纏められています。

 このように観光など鉄道に乗って楽しんでもらうための工夫を凝らした特急は各私鉄の思想や方向性が垣間見られて興味深いものがあります。高級感と遊び心を取り入れて通勤とは違った鉄道旅行の魅力を引き出していますが、どうしても観光需要だけに力を注ぎきれない面も感じます。事業者によっては朝夕のラッシュ時にこれらの車両を遊ばせておくわけにもいかず、通常特急車と同じ様にライナー的存在の特急に充当させるものもあり、小田急ではそうした輸送に対応するために小田急ロマンスカーの伝統であった前面展望や連接車体を止め20m級車体のボギー車とした30000形“EXE”を投入して通勤と観光の両方の需要に答えようともしましたし、近鉄も近年導入しているのはフラッグシップ者でもビスタカーのようなダブルデッカータイプの車両ではなく、21000系“アーバンライナー”も23000系“伊勢志摩ライナー”も平床構造のものとなっています。しかし前述のとおり両者共に一部の限定的なものになるとはいえ、小田急50000形“VSE”や近鉄50000系“しまかぜ”のように従来からの伝統を継承しつつ新たなサービスを盛り込んだ新型特急車両を運行し始めています。
 こうした観光特急は鉄道移動時から旅は始まっているというコンセプトで構成されていることが基本で、単なる移動ではなく特急に乗車するのが旅の目的の一つとお客様に思われるのを目指しているといってよいでしょう。通勤のライナー輸送はラッシュ時の混雑から解放されるため、最低でも着席分の空間が保証されるのと比べると若干敷居は高くなります。カフェテリアの設置やワゴンサービスによる車内販売など軽食や飲料水提供、土産物の販売などが観光特急の特徴として挙げられますが、前記の実車の例に挙げたように食事提供サービスは苦戦を強いられる事が多いように見受けられます。しかしながら通勤や都市間輸送の列車との差別化を図る上では極めて大きな特徴になるもので、観光特急を設定した際には列車内で食事が出来る設備はぜひとも考慮したいものです。
 また前面や側面の客室窓を広くとり展望サービスを行うものも多数みられこれらは様々な手法でデザインの一部として個性を発揮する大きな特徴となっています。前や横だけでなく上を眺望の方向として取り入れたのが東武の634形“スカイツリートレイン”で、スカイツリーの姿を車内から見るために屋根付近の一部にもガラス窓を設置した面白い例です。前面展望は名鉄や小田急が積極的でしたが、東武は運転室と客室は分離しており運転士や車掌の気分を味わう事は出来ません。しかしながら客室窓はどの事業者の特急車両においても大きくとっていて、ゆったりとした座席や個室から流れゆく美しい景色を堪能できるように設計されています。特急車両全般を見ると各座席毎の小窓を採用する例はありますが、観光的要素を持つ特急用車両だと、小田急2000形“SE”や東武1700系や1720系“DRC”など新性能車初期の頃には一座席毎の窓を持った車両が存在していましたが、最近の車両では二座席に一つの窓が主流となっています。これはグループ客が座席を向かい合わせにした際に大きな一つの窓になるように配慮したものだと思われます。実際に乗ってみて楽しい車両の象徴ともいえる観光特急用車両は現実に即しながらも多少は非現実的な要素も例えば食堂車などを取り入れてみたも良いかもしれません。

 団体専用用車両は私鉄では保有している例は極めて少なく、近鉄のみが専用車両を持っている他は東武が専用車両といえるような車両を1本だけ用意しているに過ぎません。近鉄は前述のように数多くの観光地を沿線に持ちますが、特に京都、奈良、伊勢神宮など修学旅行の定番地を要していて大阪や名古屋を始めとした地方の学校からの修学旅行輸送を担っています。こうした需要から修学旅行専用の車両を投入しているのも他の私鉄には無い大きな特徴といえます。1962年に登場した20100系“あおぞら”がその先駆けとなる存在で、ビスタカー一族に名を連ねる二階建て構造の車両となってます。これは多くの生徒を輸送するためという現実的な必要性と当時から人気だった二階建て電車への乗ってもらい修学旅行での思い出の一つにしてもらおうという夢のある目的もあったといわれています。3両編成で全車両二階建ての構造となっており、これは今に至るまで近鉄唯一の存在となっています。ただし中間車は一階部分に制御機器を搭載して両端の平屋客室部分と二階客室部分をあわせてダブルデッカーとしています。車内は修学旅行用のために同じく修学旅行用として導入された国鉄155系に倣った形で2人用と3人用座席が並んだボックスシートが基本となっていて、乗降扉付近はロングシートとなっています。また冷房はその用途と搭載スペースが無い事から簡易的な冷風機が取り付けられるに留まり、側面窓が開閉できるようになっています。また修学旅行以外にも団体列車や臨時列車に運用に就く事もあり、修学旅行でしか乗れない幻の列車というわけでもなかったようですが、先に述べたような冷房が無い点や子供の体格に合わせた大人にはやや窮屈な座席など、その運用には苦慮するものだったようです。
 “あおぞら”も特急車両が充実してきたり生徒が減ってくると、他の特急車や長距離用クロスシート車などがその任を受け持つようになり、1994年に全車廃車解体されました。
 20100系は引退してしまいましたが、これで近鉄の団体用車両の系譜が途絶えたわけではありません。1966年に製造された京都・橿原専用特急車18200系を1989年に改造して団体用とした形式です。製造年度はさほど替わらないものの、少数派ながら比較的纏まった車両数が存在したところや、やはり冷房が搭載されているのは大きな魅力となって5編成10両全てが団体用車両に改造され、一部を中間車改造した4両編成2本と2両編成1本となりました。改装後の大きな特徴としてはまず外見として塗装の変更が挙げられ“あおぞらII"と命名されたその名に相応しい青と白のツートンカラーになり、前面貫通扉の窓が展望の効くように大型化されました。内装は主に改修が行われて大きな変更は行われませんでしたが、AV機器の搭載や前面展望用のカメラとモニターを設置しました。
 また1997年に増結用として“ミニスナックカー”18400系より1編成2両が“あおぞらII”用に改造されました。塗装は18200系に準拠したものに変わりましたが、それ以外は前面方向幕の撤去くらいに留まり、内装などには手を付けられていません。もっとも座席はリクライニングシートで、そのままでも転換クロスシートの18200系よりも少しばかり豪華なものでした。またAV機器の搭載も行われませんでしたが、これは増結用だったという事だけでなく、こうした機器は性能的に陳腐化しやすい事や振動で故障し易く手間が掛かるという理由もあったといわれています。
 18200系も種車の製造から30年以上が経ち老朽化も進んだので2006年に引退し、後継に“スナックカー”12200系を改造した15200系2代目“あおぞらII”が登場しました。18200系と同数の4両2本と2両1本で構成されて、外観は塗装は先代のものを継承しましたが前面貫通扉は18400系と同じく方向幕を撤去したものの窓の大型化はされていません。また内装も特急車時代と変わらずリクライニングシートとなっていてAV機器の設置も行われていません。足回りも特に手を付けていませんが、元より18200系よりも基本性能が高いので、特急ダイヤに載せて運行が可能となってます。
 団体車は一般営業車と比べて稼動する機会が少ないため一般的に第一線から退いた車両に改造を施して運用に就くケースが多く、これはJRにおいても同じ事がいえます。しかし近鉄はその高い団体需要から新造車両も導入しました。20000系“楽”で1990年に4両編成1本が製造されました。先頭車はダブルデッカー、中間車は制御機器を配したハイデッカー車となっていて、“楽”もビスタカーを名乗ります。ただ特急車ではないので座席は転換クロスシートで供食設備もありませんが、制御車の車端部にソファを備えたサロンルームがあります。団体車としてはなかなか魅力のある車両でしたが“あおぞらII”が既に存在していた事もあり、この1編成のみの製造で終わりました。
 2011年には近鉄のグループ企業である旅行会社が独自のツアー用に専用団体用車両を設定し、近鉄から車両の貸与を受ける形で運行を始めました。12200系をベースに2編成4両が改造されて15400系“かひろぎ”となり、外観は他の近鉄車とはイメージを一新した深緑に金帯のシックな塗装で内装は座席はそのままながら床は絨毯敷きで一部座席を撤去してフリースペースとバーカウンター、AV機器を設置し、観光特急車のように鉄道での移動中も楽しめるように配慮されています。この一部座席撤去は1車両の定員をバスの定員に合わせるといった意味もあり、各車定員は46名と48名となっています。
 東武も広大な路線網と点在する観光地や歴史遺産を訪れる団体客向けに各種特急車や長距離用車両を保有していますが、団体専用車両として新製した例はなく、特急車の型落ちや運用上余裕のあった編成、或いは8000系など通勤車を使っています。かつてビジネス急行「りょうもう」に使われていた1800系のうち唯一改造されずに現存する1819Fが定期運用を持たず団体・臨時用として残っています。
 名鉄も前述の8800系“パノラマDX”のうち8807Fが団体用として残り定期特急運用とは区別されていました。
団体用車両を持つのは観光特急が走るのと同じ様な理由が見込まれる施設が沿線に点在する用にすると良いでしょう。団体需要が見込まれるのは観光施設だけでなく、宗教施設や就学旅行で訪れるような名所旧跡などがある場所、特殊な例としては甲子園での高校野球などの期間を限定したイベントもあります。
 こうした団体用車両は昔から一線を退いた型落ちの車両が多くの場合充てられます。国鉄やJRでも多くの場合が当てはまり、修学旅行用の155系や159系、167系などの一部の例を除きジョイフルトレインと称される団体用車両は余剰となった客車や急行形車両から改造されたものが大半を占めていました。
 大手私鉄でも新製された団体用車両は近鉄の20100系“あおぞら”と20000系“楽”くらいです。これは団体運用の需要が一般定期運用と比較して明らかに少ないためで、積極的に運用してもせいぜい毎週末くらいにしか使わない列車の車両をイチから作るよりも余剰となった車両を改造して使う方が経済的だからです。元特急車両なら団体運用に耐えうる車内設備を持っていますし、看板特急車を短期間でモデルチェンジした場合、車齢が若い先代特急車を有効活用する例として、通勤車への改造と共にこうした団体車両への改造を行うのも良いでしょうし、東武1800系のように通勤車への改造と団体車への転用、多方面への特急車への転用改造を同時に行う例もあります。団体用への改造は外観上はそれほど大きな改造は必要なく、塗装の変更とライトや集電装置などの新鋭車両との部品共通化をして差別化する程度で説得力を持たせられると思います。団体用として車両を保有していてもイベント時や盆暮れ正月などの多客時には臨時営業列車として運用に就く例もあるので、扉位置など必要以上に手を加える事はあまりしませんし、稼働率の少ない団体用車両にあまり予算はかけないので、少し雰囲気が変わったなという程度で構わないでしょう。

他社直通車両 外の空気を受け入れて
地下鉄の場合
 大手私鉄と相互乗り入れを行っている他の私鉄は様々な形態がみられますが、一番多く見られるのは地下鉄線との相互直通でしょう。郊外へと伸びる大手私鉄は大抵戦前から存在し、地下鉄は戦後高度経済成長時に敷設されものなので、基本的に車両の基準は大手私鉄側に合わせられます。郊外私鉄が4扉20m車が主体ならば地下鉄側もそれにあわせ、3扉18m車が主体ならそれにあわせて地下鉄線も施設や車両を合わせて作られます。初の郊外私鉄と地下鉄の直通運転となった都営浅草線は3扉18mで規格が統一されますが、これは乗り入れ先の京浜急行の規格に合わせたものです。ただ都営浅草線は当初の構想より京急のほかに京成電鉄との直通運転も予定されていて京成側は3扉16m級の車両が主体でした。しかし車体長以上に問題だったのは、京成の軌間が馬車軌間と呼ばれる1372ミリだった点でした。京急は標準軌である1435ミリで両者の軌間が異なり、都営浅草線と3社乗り入れを行う場合、どちらかの軌間に統一する必要がありました。協議の結果京成が標準軌へと改軌する事になり、1959年に約二ヶ月弱を掛けて京成線全線を改軌して軌間を始めとする建築限界や保安装置など統一規格を確立し、この利点を活かして浅草線を跨いだ京成・北総と京急の三社・四社線直通も実施しています。ちなみに現在地下鉄線で唯一保安装置でATCを使用していない路線となっています。
 時を同じくして営団(当時、現東京メトロ)でも営団日比谷線と東武伊勢崎線と東急東横線との三社乗り入れを計画しました。こちらは東武も東急も軌間は1067ミリで改軌の必要は無かったものの、東武が収容力の高く同線の標準車体でもあった4扉20m車による規格統一を希望するも、日比谷線は主に道路下を走り急曲線が存在して建設負担の軽い18m車を採用することになり、3扉18m車によって統一されました。ただ前述のように東武は20m車が主体で、東急は日比谷線開業当時は18m車が主体であったものの20m車の運転は可能で、現在は20m車が主力となっている事からしてこの決定は営団の事情によるものが大きくなっています。日比谷線は開業後の直通先の発展が著しく、計画時には大きな乗客増は無いと思われていた東武伊勢崎線の輸送人員が急激に増加し、小型の車体の上に8両編成が限界の日比谷線直通用車両では輸送力は限界に達してきました。このために各設備の改良や営団半蔵門線への直通運転の開始を急ぐ一方、車両としては乗降が容易にできるように東武とメトロの一部車両に5扉車を導入して少しでも混雑の緩和を図れるようにしました。しかしながら車両の統一が出来ない欠点は残っていて、東急側では2013年春に東横線が東京メトロ副都心線との相互直通運転する際に4扉20m車規格のホームドアを整備し、これに適合しない日比谷線直通運用を廃止することになりました。ただ日比谷線直通運転はメトロ車は東武と東急の両事業者に直通運転を行っていましたが、都営浅草線と違い両社所属の車両は互いの路線までは直通運転を行っておらず、保安装置など自社と地下鉄線を運行できるだけの装備しか搭載しておらず、メトロ車以外で日比谷線を跨いだ三社直通は出来ません。
 こうした3社直通を行っていても中間の地下鉄事業者以外の郊外私鉄が逆側の郊外私鉄に乗り入れない例は、メトロ千代田線に直通する小田急とJR東日本やメトロ東西線に直通するJR東日本と東葉高速鉄道が挙げられ、いずれも自社と地下鉄線の保安装置だけを搭載していて3社直通は行えるのはメトロ車だけとなっており、この二路線ではメトロ車のみ三社を跨いだ直通運転が行われています。
 最近ではメトロだけの直通だけでなく各社共に地下鉄線と越えて反対側の郊外私鉄路線へ直通する例も増えてきて、メトロ半蔵門線を介した東急田園都市線と東武伊勢崎線やメトロ南北線を介した東急目黒線と都営三田線、埼玉高速鉄道、そして、メトロ副都心線を介した東急東横線と西武池袋線、東武東上線が挙げられます。これらは車体や扉などを共通化しつつも各社の従来車から発展させた車両を投入したりしています。多くの場合は直通運転に際して新車を導入していますが、三社直通では運用が多くなるので新車のほかに東急8500系やメトロ7000系、東武9000系など条件を満たしている形式が追加改造を施して運用に就かせ、結果として運用形式のバリエーションが格段に増えている場合もあります。また東武伊勢崎線のように同じ路線に半蔵門線直通と日比谷線直通の運用が存在していますが、前述のように車両規格が違うので並びはするものの共通運用に就く事はありません。東急でも東横線と目黒線が併走して副都心線直通と南北線直通が並びますが、車両の基本規格は同じで東急車は両線共に5000系列車が運用に就いていますが、ワンマン機器など保安装置に大きな違いがあるのでこれも共通運用に就く事はありません。
 東京の地下鉄車及び乗り入れ車として特筆すべき点は、長らく非冷房車だったという点でしょう。これは地下線内ではトンネル冷房という車両単位ではなく地下区間全体に冷気を送るシステムを用い、冷房と車両の排熱対策として採用していました。車両側は窓を開けてトンネル内の冷気を取り込むため冷房装置は搭載していませんでした。しかし直通運転を行うようになると、郊外線では外気取り込みでは車内は涼しくなるはずも無く、乗客や他社から不興を買うようになり。1990年代頃から順次車両に冷房が搭載されるようになりました。他社乗り入れ車も冷房を搭載した車両は一部にありましたが、原則地下鉄線内では冷房を切るのが建前としてありました。
 関西ではあまり大手私鉄と公営地下鉄線との直通運転は行われておらず、阪急京都線系統と大阪市営堺筋線、近鉄けいはんな線と大阪市営中央線、近鉄京都線と京都市営烏丸線、また京阪の片乗り入れながら京阪京津線と京都市営東西線が挙げられます。阪急と堺筋線の相互直通は関西地区での大手私鉄の地下鉄乗り入れとしては初の存在で、直通運用のために大阪市営地下鉄唯一の1500V架空線区間となっていて、車両も阪急の仕様にあわせていましたが、先代の60形はアルミ車体で無塗装、現行の66形もステンレス車体で無塗装となっています。車両は市交車は阪急に乗り入れることが前提だったので当初から直通対応がなされていますが、阪急側は直通対応車として民営鉄道標準車体でロングシートの8両編成車に堺筋線用の保安装置を搭載している編成は原則として堺筋線に直通でき逆に入線できないのは、クロスシート車の6300系と9300系、民営鉄道標準車体ではなく3線統一車体を採用していた2300系くらいとなっています。
 一方大阪市営中央線と直通運転を行う近鉄けいはんな線は、第三軌条の大手私鉄では唯一の集電規格で敷設されています。これは大手私鉄の地下鉄直通運転では唯一郊外の大手私鉄路線が地下鉄よりも後に建設された例で、このため先に敷設された大阪市営中央線の規格に合わせた第三軌条750Vで開業することになりました。このため隣接する近鉄奈良線など同じ標準軌区間と規格が合わず直通は出来ません。ただし牽引車両を介して検査時に奈良線や大阪線を通って無動力回送を行うことは可能で、この点は都営浅草線を介して西馬込まで回送される都営大江戸線車両と似たものとなっています。このように路線開業経緯の特殊性から車両も独自のものとなっていて、、近鉄7000系は他の近鉄車とも特に共通性を持っておらず、市営車とも機器やデザインの目に見えるような共通性はありません。また最近の近鉄通勤車の標準スタイルといえる“シリーズ21”は従来車と形状や塗装など大幅に外見が変わっていますが、けいはんな線の“シリーズ21”である7020系は7000系を踏襲したデザインとなっています。これは従来車の置換えではなくけいはんな線延伸による増備なのと、編成数が少ないので違いの大きな車両の導入を避けたためと思われます。
 同じ近鉄線では標準軌区間の京都線も京都市交通局烏丸線とも相互直通運転を行っていますが、こちらは近鉄側は京都市中心部への乗り入れを京都市営側は郊外区間への直通を求めた結果で、車両としては近鉄側は直通仕様の3200系と3220系を限定で、京都市営側は全車両が直通仕様と相互直通運転としては標準的な形態となっています。。2012年に廃車となった近鉄唯一のステンレスカーでこれも唯一であった電機子チョッパ制御の3000系も当初は京都市営への乗り入れ用車両として開発されたものでしたが、京都市営烏丸線の開業が10年ほど遅れた間に技術革新が進み、VVVF制御やアルミ車体が近鉄の標準仕様となり、3000系導入時の先進的技術は時代に取り残されてしまって結局試作的要素の高い1編成のみの存在に終わってしまいました。
 京都市営東西線に直通運転を行う京阪京津線は京阪車が東西線に乗り入れるものの、京都市営車は京阪に乗り入れない片乗り入れとなっています。これは京阪京津線が元々京阪三条から御陵・山科を経由して浜大津とを結んでいたのに対し、京都市営東西線のルートが三条〜山科間において競合するためで、競合を避ける代わりに同区間に京阪が東西線に乗り入れるという形でルートを補填した結果です。このため車体長と扉位置は両社共に同一になるようにされていますが、編成までは統一していません。この点は他の相互直通とは違いところで、あくまで前述のように京都市営東西線を京阪京津線の一部として捉えているからです。導入された京阪800系は京都市営東西線に乗り入れるためだけでなく、自社の京津線内にある急勾配急曲線に対処するために全電動車や制動に鋳鉄製のシューを使用したり、浜大津付近に残る併用軌道区間を通過するために市営車は6両編成のところを4両編成に押さえ併用区間通過に特例を受けながらも編成長を短くして京津線の建築限界に抑えようとしています。このためかなり高価な車両となっているといわれています。

 この項目の前の方で直通を予定した地下鉄は郊外私鉄の仕様にあわせたものになると書きました。しかし例外はあるもので、地下鉄線開業時に郊外私鉄が使っていなかった仕様で両社の協定を結んで規格を統一した路線があります。名古屋市営鶴舞線と名鉄豊田線がその例外といえる例です。直通運転を行うにあたって取り決められた車体規格は4扉20m車です。この車体規格は名鉄では戦後まもなく国より譲り受けた63形電車以来のもので、当時は大型の車体を持て余し、程なくして東武や小田急に譲渡されました。しかし1978年に再び4扉20mを採用しました。これは乗り入れ元の名鉄豊田線が地下鉄開業に合わせて同じく開業した新規の路線で、大型車両が入線できるように作られたからです。規格は名古屋市営と共通性を持たせたものの、名鉄としての個性は発揮していて、当時製造されていた7000系列や6000系初期車のように側面固定窓の日除けにカーテンを採用したりして、通勤車らしくない高級感を出しています。
 2003年には名鉄小牧線と新規開業した名古屋市営上飯田線が相互直通運転を開始していますが、こちらは名古屋市内まで路線が延びながらも終着駅が他路線と接続していなかった小牧線を近隣の名古屋市営名城線平安通駅まで延伸して利便性を高める目的で敷設した路線で、一区間僅か800mの事実上の名鉄小牧線の延長区間といえ、運用も全列車小牧線へ直通しています。このように短い路線ですが、車両使用料清算のために名古屋市衛川も車両を保有していて、名鉄300系が8編成名古屋市営7000形が2編成存在します。性能や主要機器類は製造コストや保守の関係上共通化が図られていて、車体規格も4扉20m車の4両編成となっています。名鉄小牧線はは名鉄豊田線と違い以前は名鉄の標準車が走っていた区間ですが、上飯田線開業後は小牧線専用の両家意識のみが運用されています。車体規格は統一されているものの車体はそれぞれ独自のデザインとなっていて、名鉄300系が1800系などの外観の流れを組みつつビートレスのステンレス車体を採用しているのに対し、名古屋市営7000形は桜通線6000形をベースとしたビートプレスのある車体を採用しています。また短区間で2編成だけの上飯田線は独自の車両基地を持たず、通常は名鉄の犬山検車区を拠点とし、大掛かりな検査は名鉄の舞木検査場にて行われます。前述のように名鉄車との主要機器の共通性を高めたためで、基本的に名古屋市営交通局の日進工場に入場する事は無いようです。

 地下鉄線で運用される車両を語る時によく出てくる安全規格がA-A基準と呼ばれるものがあります。これは鉄道車両の火災対策基準の一つで1969年に出された通達で、A基準、B基準の上にある一番厳しい基準となっています。A-A基準は地下鉄車両に適用されるもので、不燃材料を使って製作してそれが難しい場合でも極力難燃性の材料を使う事としています。他に停電時に対応できるシステムを形成していますが、外見上に目立つ特徴としては先頭車両の前面貫通扉の存在でしょう。これは狭い地下線のトンネル内で被災車両からの脱出を容易にするためのもので、地下鉄と呼ばれる路線の車両にはほぼ全て前面貫通扉が設置されています。必須と思われている前面貫通扉ですが例外規定も存在していて、トンネル側面の壁と車体側面の間に400ミリ以上の空間があれば前面貫通扉は省略しても良いとされ、この例外規定によりJR京葉線地下区間に前面貫通扉の無い通常形通勤電車が入線していました。ただ新規開業路線では側面空間に余裕があっても行政指導や自主的な基準で前面貫通扉を設置しているので、前面貫通扉が地下鉄車や地下鉄乗り入れ車両を表わすデザイン上の記号として今でも有効であるといえます。
 A-A基準よりも緩やかな基準がA基準と呼ばれるもので、地下区間ではないものの、長いトンネルが存在する路線で運用される車両に適用される基準で難燃性の材料で車体を構成し、前面貫通扉の設置は必ずしも必須とされていません。この基準に準拠して地下区間を長大トンネルと定義する場合もあり、名鉄の名鉄名古屋駅の地下区間をトンネル扱いの新名古屋地下トンネルとしていて、A-A基準の適用外となっています。
 B基準はこれ以外に適用される基準ですが、現在この基準は廃止されていて、現在はA-A基準などを発展強化した普通鉄道構造規則になっています。またこの規則の存在に関わらず車体材料の不燃化や難燃化は極力進めていて、近年製造されている車両のほとんどはA基準やA-A基準を満たすような構造になっています。例えば国鉄車両ですが101系が長大トンネルが数多く存在する武蔵野線の投入された際に従来の101系にA基準を適合させた101系1000番台を投入しましたが、後に投入された103系は特に改造される事も無く運用され、後には京葉線の東京地下区間にも特別な仕様変更も無く入線しています。この点からして不燃化という面ではA-A基準を満たしていたといえます。


 地下鉄及び地下鉄直通車両をデザインする時、まず取り入れるとしたら前面貫通扉でしょう。上記のように必ずしも必須ではありませんが、多くの事業者の車両が採用していて前面非貫通の車両が地下鉄線に乗り入れているのは従来車両がそうであったり、その実績によって引き続き採用している例だけです。また貫通扉は非常時の脱出経路だけでなく、編成同士を併結した際の編成間を移動する通路として使用する場合があるので、中心に配置して両編成の扉が一致するようにします。しかし編成両数が統一されていて途中で分割・併合の必要が無い事例が多くみられ、編成間の通路として使用する機会がまったくないものもあります。こうした場合は中心部に前面扉を設置する必要は無く、運転台を広くしデザイン上の処理で助手席側に寄せる構成をとったりします。代表的な例が営団/東京メトロの車両たちで、千代田線の6000系より始まる採用当時としては革新的なデザインでした。前面扉も基本的に非常時にしか使わないので扉の支点を側面ではなく下部として前倒し式にすることにより、扉を非常用ステップと一体化しました。ここまでいかずに通常の扉を採用していても運転台スペースを広くとり運転士の職場環境を改善する意味合いもあって助手席側に貫通扉を寄せるのは近年では標準的なもので、東武30000系や西鉄3000形などのように運用上分割併合を必要とされる車両を除けば近年登場した車両の主流となっています。また常時使用しないので前面部にデザイン的に溶け込む形にしてプラグドア方式を採用し、見かけ上非貫通型に見えるようにしたり、隙間風が運転台に入り込まないようにしています。
 また地下鉄線は地上から地下、更には地下から高架線へ、地下線内でも河川や既存の地下構造物を避けるために急勾配が数多く存在しています。このため地上線用の編成よりも若干電動車の比率が高いものが多く、こうした事例で地下鉄用車両としての特徴を出す事も出来ます。性能向上により近年の車両では電動車比率は地上用車両と大差ないものもありますが、特徴としての差別化としては良いと思います。
これも必須ではありませんが車体はアルミかステンレスで基本的に無塗装というのは地下鉄用車両っぽく見えると思います。近年では地上線用車両にもアルミやステンレスの無塗装車両が増えてきましたが、1960年代後半以降の営団や都営、大阪市営などの地下鉄事業者がこぞって無塗装車を採用しました。ただ銀色一色の車体では味気ないのでその路線をイメージしたカラーの帯を貼り付けて変化をつけていたりします。こうしたものでは乗り入れを行う公害型大手私鉄の車両は京急や阪急、名鉄など鋼製車か或いはアルミ車でも塗装を施した車両を乗り入れ用に用意して地下鉄車とのデザイン上の変化や差別化図ってみるもの良いでしょう。他にも前述の都営や営団車の様に比較的後の時代に登場したのに事業者の方針によって新製時には冷房が搭載されておらず、後年になって社会の要請によって冷房化改造が行われて時代によって変化が発生するというのも車両の歴史として興味深いものといえます。


関連会社の場合
 地下鉄以外の私鉄と直通運転を行っているのは、大手私鉄との関連会社や地元自治体が中心になって出資開業した都市型の第三セクター鉄道が挙げられます。こうした鉄道は主に新興住宅地の交通手段として建設されたものが代表的な例といえ、京成電鉄と開業当初の北総開発鉄道(現北総鉄道)及び住宅都市整備公団(現千葉ニュータウン鉄道)や芝山鉄道そして現在は京成に吸収されてしまった千葉急行、東京メトロと埼玉高速鉄道、南海は資本参加してはいませんが南海電鉄と大阪府都市開発(泉北高速鉄道)がニュータウンアクセスの直通運転です。大都市の鉄道路線再編ながら東急電鉄と横浜高速鉄道も同様の例といえるでしょう。こうした鉄道会社は車両数が少数になるために乗り入れ先の大手私鉄の車両をベースとして極力共通化を図ったものとしています。北総鉄道では開業当初の7000形は京成との共通化はされませんでした(住都公団9000形とは共通化)が、7150形や7250形など乗り入れ先の京急や京成車を譲り受けて編入したり、7300形は京成3700形を北総仕様にした新造車と京成で余剰となった3700形をリースという形で編入した編成と二種存在し、前者がスカート無、後者がスカート有で区別されていました。千葉ニュータウン鉄道の9100形も車体デザインは他社と大きく異なるものの、足回りは京成3700形と共通となっています。2006年には京成3000形をベースにした7200形が登場しますが前述の通り京成車と塗装デザイン以外は大きな差異はありません。そして新造車として京成新3000形をベースにした7500形を導入し、京成との車両の結び付きを強めています。
 芝山鉄道は僅か2.2キロのミニ鉄道ですが京成よりリースされている3600形8連1本を保有していて塗装デザインを変更して運用されています。これは車両使用料の相殺を目的にしたもので、こうした理由とラッシュ時以外は8連車は芝山鉄道線には乗り入れないという運用の都合で、芝山鉄道保有の3600形が芝山鉄道線に入線する事は稀なようです。千葉急行も京成や京急からのリース車で車両をまかない新造車は保有していませんでした。芝山鉄道と同様に車両使用料相殺が目的の所有で、また両社とも自前の検車設備を持たず、車両の検査整備は京成に委託していました。
 他にも片乗り入れながら新京成電鉄が京成千葉線へ乗り入れています。こちらは他の京成乗り入れ事業者と違い、乗り入れ運転を主体とした運用ではないためか、京成の車両に影響を受けながらも独自のスタイルを保っていた時代があり、現用車両では8000形8800形が新京成独自の車両となっています。8900形は京成3700形を基本としつつ新京成独自のアレンジを行ってオリジナルに近い形式といえますが、京成千葉線乗り入れと800形置換えのために導入されたN800形は北総7500形と同様に京成新3000形をベースにしていて、先代の800形以来の形成車との共通設計となっています。京成千葉線への乗り入れは6両編成となっていて、8000系とN800形、8800系の6両編成が対象編成となっていて、8800系の8両編成と8両編成しか存在しない8900形は対象外となっています。8両と6両が存在する8800形は帯のデザインが違っていて識別は容易です。
 東京メトロ南北線と埼玉高速鉄道もメトロ車の設計を極力流用しつつ先頭部や帯デザインで埼玉高速鉄道の車両としての個性を醸し出しています。
 南海と泉北高速鉄道線も開業当初に南海高野線の主力であった南海6100系をベースとした100系を導入しました。ただ差異は存在して足回りは共通仕様であるものの台車は特殊だったパイオニア形台車ではなく比較的標準的だったSミンデン式台車を採用、パンタも下枠交差形ではなくこちらも当時としては標準的だったひし形パンタとし、車体もセミステンレスの先頭部を切妻形として製造コストを抑えています。続く3000系は同じく同時期に製造されていた南海6200系をベースにしつつコストを抑えた仕様としていますが、元の南海6200系がコスト抑制で仕様を変更していて切妻化やSミンデン式台車の採用など100系と比べると元となった車両に近くなっています。初期車は100系と同様にセミステンレス車でしたが、1985年製造車からマイナーチェンジを行いオールステンレス車体となりました。また平坦区間しか運用されないので南部の勾配区間を走行する南海高野線用車に搭載されている抑速ブレーキや増加搭載された抵抗器などは装備していません。1990年に登場した5000系は制御機器は南海2000系をベースにしたものの車体は独自のものとなっており、南海現行通勤車には存在しない前面非貫通でこちらも南海車には導入されていないアルミ車体となっていて一目で泉北車とわかる存在となっています。続く7000系も前面貫通式になったもののアルミ車体を採用して特にステンレス車が主体の高野線では非常に目立つ存在となっています。また南海電鉄側の建築限界の見直しによりワイドボディが採用されたのも特徴で小規模の鉄道ながら存在感を発揮しています。
 横浜高速鉄道は、横浜市内の繁華街や官庁街へのアクセスラインとして東急東横線のルートを桜木町から変更する事により開業した鉄道ですが、運用的には東急東横線と一体化されたものとなっているので、ほんの一部を除き東横線から元町・中華街へ通して運転されています。このため運転される車両は東急車と東急新5000系をベースにした横浜高速鉄道のY500系が使われています。Y500系は細かな部分に差異はあるものの、車体は新5000系と同じで車両の保守業務も東急に委託されていて、やはり車両使用料相殺の意味合いもあります。こういった場合は車体や内装のカラーで東急車とは違う個性を主張するのが一般的で前述の京成新3000形をベースとした北総鉄道や新京成電鉄の車両においても同様にカラーを変更して自社車両としての差別化を図っています。しかし東急新5000系の場合は路線によりラインカラーを変えていて、単純な帯の色を変更するだけでは個性を保てないと判断したのか、直線的な帯ではなく塗料をさっとジグザグに描いたようなデザインのラインを青から黄へのグラデーションで施されています。余談ながら東急こどもの国線も横浜高速鉄道が所有し。運営を東急が行う路線で横浜高速鉄道が保有するY000系が運用されています。Y000系は東急目黒線用の3000系をベースとしていますが。こどもの国線での限定運用のために3扉となり側面の方向幕も省略されました。また塗装も青と黄色を主体とした東急とは違うデザインとなっています。

 新設鉄道とは別に旧来から存在する子会社の地方鉄道と直通を行うのが阪急電鉄と能勢電鉄です。能勢電鉄は古くから阪急が資本参加していた関連会社で、車両は基本的に阪急から譲渡されたものです。山がちな区間を走るため、かつては急勾配や急曲線が多数存在して小型車両しか走行できませんでしたが、線形の改良により阪急現役車クラスの大型車が入線できるようになりました。バブル期には沿線の住宅開発を進めて乗客増加を図ったうえで、自社発注車を投入し阪急宝塚線との相互直通を意図していましたが、バブル崩壊で沿線開発の負担が重くのしかかってしまい、引き続き阪急車の譲渡車両で運用をしています。このため阪急宝塚線に乗り入れるのは問題ありませんが、能勢電鉄と阪急宝塚線を直通する“日生エクスプレス”は阪急6000系と8000系の8連となっています。

 大手私鉄に接続して直通運転を行っている中小私鉄はこのように大手私鉄の枝線のような性格の路線が多く、資本参加を始めとして大手私鉄の影響を多分に受けており車両も例外ではありません。京成と乗り入れていた芝山鉄道や旧千葉急行、東急と乗り入れる横浜高速鉄道は路線規模が小さく、前者は新造車を持たずに京成などから譲渡された車両を保有して運用し、後者は東急とほぼ同等の車両を新製して保有しています。ある程度の路線規模がある北総鉄道や新京成電鉄、泉北高速鉄道は乗り入れ先の車両を元にしつつも独自のデザインを施した車両を保有したり、完全に新規の設計をした車両を導入しています。大手私鉄車両ベースの車両をデザインする場合は基本的な部分はデザインや配置を流用して、台車やパンタ、冷房装置など細部を変化させるという手法で区別を行って、更に塗装や帯で会社別の独自性を強調する方法が良いかと思います。足回りを共通化させた車両だと、床下機器はそのまま流用して車体は独自のデザインのものに載せ返るという手でよいでしょう。実際には共通性を持たせても編成のバランスなどを考慮して機器配置が若干変更される事が多々ありますが、この辺りは同じレイアウトにしておいた方が直通運転を行っているという鉄道の関連性を協調できるからです。ただ車体を載せ返るにしても扉位置などはきちんと合わせておくのが望ましいでしょう。

神戸高速鉄道の特殊な事情
 神戸には阪急電鉄・阪神電鉄・山陽電鉄・神戸電鉄と四社が乗り入れ、かつてはそれぞれが独立したターミナルを持っていたので、乗換えには非常に不便でした。こうした状況を解消し各社を一体化した運用を行えるようにし、かつ市電の代替交通手段として神戸高速鉄道が設立されました。車両は車体や保安装置が共通だった阪急・阪神・山陽が神戸高速鉄道東西線を通じて三社直通運転が行われました。こうした事情から神戸高速線内だけの運用は基本的に設定されなかったので、神戸高速鉄道保有車は存在せず、また後述の理由から駅員は在籍しても乗務員は在籍していません。各社とも19m級3扉で保安装置も共通の連続照査型のATSを採用していたので直通運転は比較的容易でした。ただ開業前は山陽の電圧が1500Vだったのに対し阪神と阪急が600Vであったので、デッドセクションを設けて複電圧車を直通運用に就かせる予定でしたが、開業直前に両社とも電圧を1500Vにして問題を解消しました。車両の基本的な部分は共通化されたものの、各社車両は自社乗務員が運転するので操作機器の共通化は行われませんでした。(ただし現在阪神〜山陽間相互乗り入れの直通特急などは新開地駅の乗務員交代)。他に神戸電鉄がありますが、こちらは三社と違って軌間が1067ミリゲージなので相互乗り入れが出来ず、従来の起点であった湊川から繁華街で神戸高速東西線と接続する新開地駅まで一駅だけの神戸高速南北線として神戸電鉄が乗り入れるだけです。このため実質的には神戸電鉄の延長区間となっていて車両も直通するための特別な装備は追加されていません。
 神戸高速鉄道を介した相互直通運転は三社以上の民鉄が存在して区間や運用が複雑な実例となっていて、これを真似た架空鉄道を設定するのは難易度が高い上級者向けのものだといえます。しかし全てを設定として使わないとしても、車両を保有しないとか車体の大きさと扉位置だけが共通など一部を採用して、多少無茶な設定をしてもリアリティを感じさせる例として活用できます。


阪神と近鉄 規格の違う相互直通
 2009年に阪神西大阪線を西九条から近鉄の大阪難波まで延伸して阪神なんば線が開業し、阪神と近鉄の直通運転が開始されました。地下鉄を介さず直接大手私鉄同士が相互直通運転を行うのは現行では唯一の例となっています。過去には近鉄京都線と京阪が、また狭軌時代の近鉄名古屋線と名鉄が乗り入れを行っていました(但し団体列車のみ)が現在では廃止されています。そして将来には東急東横線と相模鉄道が相互直通運転を行う予定があります。阪神と近鉄の両社は軌間1067ミリで直流1500Vとここまでは規格が同じですが、阪神の車体長は19m級で3扉、近鉄は21m級で4扉とそれぞれの会社線の実情に合わせたものとなっています。このため相互直通は1967年からの用地買収に始まる40年越しの開業ではありますが、その時点で阪神側では前述の神戸高速鉄道や山陽電鉄との直通運転が具体化して規格が統一されており、近鉄側では直通の主体となる奈良線が京都線や橿原線と運用が共通化されていて直通運転専用の車両を導入するのは非効率である事や、奈良線が近鉄随一のドル箱路線でそれゆえに現状より小型となる車両を導入できないという事情があり両社による仕様統一は行われませんでした。このため編成長や扉位置の異なる編成が阪神と近鉄を走りますが、停止位置目標や乗車位置はそれぞれ両社のものを設定していて、駅の時刻表や列車案内表示機で4扉車と3扉車と区別して案内する事により混乱を回避しています。また阪神電鉄の建築限界や編成長の限界が小さいので、ホームの延長やホームの改良を行い大型の近鉄車乗り入れに対処していますが、ラッシュ時などの10両編成は尼崎までで阪神本線に乗り入れる運用は阪神車、近鉄車問わずに尼崎で4両を増解結を行って、阪神本線へは6両編成で入線します。駅ホームに関しては前述可能な限り行いましたが、阪神なんば線内は近鉄車6両編成対応にして、阪神本線内は近鉄乗り入れ列車を快速急行として運行する事によって当該種別の停車駅のみホーム改良を施しています。終点である阪神三宮は地下駅であったのでホーム延長工事に難があり、開業後しばらくは奈良よりの車両の一部をドアカットして対処していましたが、改良工事が行われて近鉄車6両編成がフルで三宮駅に入線できる様になります。その他御影駅は急曲線の途中に駅ホームがあり近鉄車では停車した際に車体とホームの間に大きな隙間が出来るので通過している例もあります。
このようにある程度の車体差が存在する車両同士による相互直通も存在します。あまり例とするには良いものとはいえませんが、現実でも乗り入れの両社が規格を綺麗に揃えなくても直通運転ができると仮想世界の運用もそれなりに無茶が出来る敷居を下げたといえます。

優等列車の他社直通運用
 優等列車による大手私鉄と他事業者との直通運転の例は東武や西武、小田急、名鉄、南海が行っていました。このうち名鉄と南海は気動車の項目で語っていたので割愛して、電車で行われている直通運転をここでは解説していききます。
 小田急も当初は当時非電化であった国鉄御殿場線への乗り入れのために気動車を用意し有料列車(小田急線内は特急、国鉄線内では特別準急を経て連絡急行)を運行してきましたが、御殿場線が電化されたことにより、3000形“SE”を改造、短編成化した“SSE”を後継として投入しました。この時の国鉄側からの意見としては先頭車両に連結器を設置する事とされていますが、8両連接から5両連接へと短編成化した際に炊きゃくじは重連運転で対応としたのため、いずれにしても必要となったので先頭部を大幅にデザインを変更して無骨なスタイルとなりました。1957年製造で「あさぎり」への改造投入は1968年と転用敷きとしては比較的早いといえますが、元々SE車は設計上の耐用年数が10年程度と短く設定されていて、この時点で老朽化が進みつつありましたが先頭車化改造や室内配置の変更、乗り入れに必須な国鉄型ATSなど保安装置の取り付けなど小規模な更新工事に留まりました。“SSE”の後継として3100形“NSE”を投入する案もありましたが、直通先の国鉄内部の反応も考慮して1989年まで「あさぎり」運用に就いていました。ただ国鉄御殿場線内でも運転士と車掌は小田急乗務員が引き続き乗務にあたっており、これも“SSE”運用終了まで続きました。
 1988年に国鉄からJRとなり“SSE”車も車齢30年に達するようになると、新車に置き換える案が再び具体化してきました。おりしもバブル絶頂期でJRも積極的に投資を行っていた時代で、「あさぎり」も新型車両への置換えだけに留まりませんでした。国鉄から御殿場線を継承したのはJR東日本ではなくJR東海で、「あさぎり」を特急へ昇格の上で乗り入れ区間を御殿場から沼津まで延長をして、JR東海も新造車両371系を製造して小田急線に乗り入れる相互直通運転に発展拡大しました。車両も定員など極力共通化を行い、小田急では初の(現状では唯一の)グリーン車相当の特別車(スーパーシート)を設置した二階建て車を組み込んだ20000形“RSE”導入しつつ、車体は小田急特急車定番の展望式連接車ではなく通常車両と同じの20m級ボギー車で運転台は通常車両と同じ位置としました。デザインなどは両社の個性を出すようにして塗装はJRは新幹線を髣髴させる白ベースに青いラインを巻いており、小田急はリゾート特急としての軽快さを表わした白ベースのパステルカラーのラインを配したものとなりました。また車内配置も配色などで違いをみせていますが、唯一ダブルデッカーの4号車階下席がJR371系が普通座席車なのに対して、小田急“RSE”はセミコンパートメントとなっています。このダブルデッカー車両社共に二階席は三列グリーン車となっており、階下席は小田急の4号車を除き普通座席車となっています。ただし、建築限界の関係で車体の裾が絞られているため車体幅が狭く、普通車ながら三列シートとなっています。そして窓のデザインを揃えるためシートピッチもグリーン車と同じになっていて、通常1000ミリのところが1100ミリとなっています。足回りの主要機器は走行性能を合わせるまでが取り決められていますが使用機器までは統一されては無く、JR371系は製造当時JR各社で主流だった211系と同じ界磁添加励磁制御を採用し、小田急側は10000形“HiSE”のシステムを踏襲した抵抗制御を採用しています。両社とも床下機器は各社の当時一般的だった方式を採用していて、メンテナンス性の向上を図っています。こうした両社の制御機器の不統一は運用会社外での日を跨いだ停泊が無いからで、基本的にその日の運用を終えると自社の研修施設へと戻り整備を受けられるため、一方に統一するよりも自社の規格で運用する方が得策と判断した結果でしょう。
 小田急とJR東海が満を持して再スタートした特急「あさぎり」ですが、バブル崩壊や高速バス、マイカーの台頭による乗客減少により2012年に区間延長した御殿場〜沼津間は廃止となってしまい、車両も特急化時に両社が導入したJR371系と小田急20000形は引退したうえでJR車両は運用から撤退、小田急はモノクラスで7両から6両に減車となった60000形“MSE”に置き換えられました。この時“MSE”にJRの保安機器が搭載されています。また“MSE”の特性を活かして一部の「あさぎり」は「えのしま」と併結して運転されています。
 もう一つJRと直通運転を行っている大手私鉄に東武鉄道がありますが、JRとの相互直通車両については観光用特急車の項目で扱いました。東武はこの他に野岩鉄道や会津鉄道とも相互直通運転を行っています。この運用には有料急行や特急には300系と350系が、快速には6050系が運用されています。有料急行は東武の浅草から会津鉄道の会津田島まで急行「南会津」が運転されていましたが、利用客減少そして「スペーシアきぬ」と「AIZUマウントエクスプレス」の乗り継ぎが主体となったために2005年に廃止となりました。ただ臨時列車として300・350系を使用した「尾瀬夜行23:55」や「スノーパル23:55」が野岩鉄道の会津高原尾瀬口駅まで運転されています。余談ながらJR以外の民鉄で唯一運転される夜行列車です。料金不要の列車として6050系を使用した快速も運転されて、東武日光線や鬼怒川線、野岩鉄道、会津鉄道の電化区間におけるローカル輸送の主力となっています。6050系は2扉ボックス型の固定クロスシート(車端はロングシート)でボックスシートには折りたたみ式のテーブルも設置されて長距離運用を意識したものとなっています。また一部が車両使用料相殺のため野岩鉄道に3編成6両(100番台)、会津鉄道に1編成2両(200番台)が在籍していて、一応相互直通運転の体を成していますが運用は共通で野岩所属車や会津所属車が野岩鉄道や会津鉄道線に必ず入るとは限りません。6050系列は塗装を従来のブラウンツートンから白ベースにパープルレッドとオレンジの帯を配したものとして、その後に続く100系や300系列など優等用車両の塗装デザインの先駆けとなりました。
 西武も東武6050系とよく似た性格を持つ4000系が存在し、休日に秩父鉄道に直通運転を行っています。
 東武6050系と同じく2扉で扉間ボックスシートで通常は山寄りの秩父線で運用されていて、一部は他社線にも入線する事や足回りを東武6050系は6000系から、西武4000系は101系から流用しているのも似た点といえます。ただ西武4000系は大型の折りたたみ式のテーブルは無く、ワンマン運転機器を改造取り付けたり、運用上都心のターミナル駅への入線は土休日のみで平日は飯能以遠だけの運転であったり、西武からの片乗り入れで秩父鉄道車の西武乗り入れは無いという点は異なっています。西武一般車では珍しい2扉でボックスシートも東武と同じく遠距離客と閑散区間での接客サービス向上を図ったものといえます。
 他に京成のスカイライナーが成田空港へのバイパスルートとして有料列車であるスカイライナーが北総鉄道に乗り入れますが、この区間は全駅通過となっている上にスカイライナーの運行は京成が一元的に行っており、表面上は乗り入れという印象はあまりなく、営業案内も京成成田空港線(成田スカイアクセス)と呼称されていて、乗り入れ形態としてはかなり特殊なものといえるでしょう。

 こうした優等車両の他社線乗り入れは規格が合っていれば必ずしもJRに準じた車両でなくても入線は出来ます。大抵の場合はJRの方が建築限界など車両の大きさは大きいのでJRを走行できる保安機器を搭載していれば問題なく、前述の小田急3000形“SSE”のようなJRには全く存在していないような形態の車両でも運用路線を限定すれば乗り入れが可能となります。これは基本的に座席は指定されており、通勤車のような厳密な整列乗車の必要が無く、運転本数も一般列車に比べればかなりと少ないという点もあると思います。また地方私鉄に乗り入れる場合は、当然乗り入れ先の私鉄規格に合わせる事となりますが、現在存在している東武と西武の例は両社とも、国鉄/JRの車両が運用、または乗り入れていた路線であったので、特にその路線にあわせたというものにはなっていません。料金不要の優等列車として地方私鉄に乗り入れるとするならば、こうしてある程度都心から離れたところで接続している会社線を設定すると通勤車とも有料特急車とも違う、間を取った様な車両をあまり無理なく投入できると思いますし、閑散区間ならば、扉が少なく詰め込みの効かないクロスシート車でもそれほど問題なく運用できると思います。ただ有料特急車を設定している場合、どこで有料特急車と料金不要車の運用上の区別を付けるか、その理屈付けが必要になってくると思います。つまり両社の室内サービスに際立った違いが無ければ利用客は当然の事ながら、安い料金不要の列車を利用するからです。有料列車の存在意義はシートの良し悪しだけでなく速達性などもありますが、それでも居住性に差が無ければ有料優等列車の存在意義は揺らいでしまいますので、この辺りの匙加減は重要だと思います。また料金不要特急列車が最上位種別であるならば、クロスシート車は他の下位種別との差別化として有用な存在になり、本項の乗り入れ列車として考えると阪神電鉄と神戸高速鉄道を介して山陽電鉄が相互乗り入れを行う梅田〜姫路間の「直通特急」運用は、多くがセミクロスシート車が充てられています。(阪神車は一部が全車ロングシート編成が有)これは運用区間が長いというのもさることながら、競合相手が非常に強敵なJR西日本の新快速である点も見逃せません。こうしてロングシート主体の路線に彩りや変化を与えるものとして、ライバルへの対抗や観光的要素のある地方私鉄への乗り入れが中距離近郊用車両の必要性を見出せるようになると思います。