有料特急用車両 第2世代以降
 最優等列車である特急に充当される車両はその鉄道会社の顔であり看板です。そういった車両は常に風格を保ち続けるようにして室内の更新は10年程度、車両の置換えも20年辺りが理想的だといわれています。しかし経済的な事情などからなかなか予定通りにはいかないもので、小田急のロマンスカーシリーズは20年以内に新型車両を投入していますが、1960年登場の東武の1720系“DRC”が100系“スペーシア”に置き換えられたのは30年後の1990年となりました。ただ20年以内に新車を投入する場合は必ずしも置換えではなく従来からの車両も継続して使いますが、30年以上経っての置換えは在来車は廃車になるケースが大半で、更には足回りを活用して機器流用車が生まれる例も数多くあり、東武や西武、そして南海の一部は車体を新造した特急車に生まれ変わり、京成や近鉄、そして名鉄の一部は一般車に機器を流用しました。
 東武は廃車となった1720系の機器を流用して当時は有料急行だった「りょうもう」用の200系を登場させ、西武は5000系初代“レッドアロー”の機器を10000系2代目“レッドアロー”に流用しました。
 小田急は機器流用を行わずに廃車となりましたが、ロマンスカーは設計の段階から一般車への転用を考慮していなかったので妥当な流れでしょう。南海は高野線の20000系“デラックスズームカー”は1編成のみの存在で流用するにも数が少なすぎたために機器流用車が誕生しなかったと思われ、南海線1000系は車体は1960年頃のもので、1973年の昇圧時に1500Vに対応した機器更新が行われていますが、1985年の廃車時には主要機器を後継となる10000系“サザン”に、台車を他車との併結時に問題のあった6000系のパイオニア台車置換えにそれぞれ流用しました。
 京成は1973年登場の初代AE形を新東京国際空港ターミナルビル駅乗り入れに際して新造されたAE100形に置き換えた時に、初代AE形の足回りを流用して車体を新造した一般車の3400形を登場させていますが、これは特急型から一般型への格下げ転用の一種といえます。
 近鉄も同様に車齢13年で廃車となった初代ビスタカー10000系の制御機器が一般車2680系3両編成2本に流用され、二代目ビスタカー10100系の台車や制御機器が一般車2000系の主電動機と一部台車に流用されたほか、920系(後の1010系)新性能化改造の際に主電動機を流用、台車を680系の更新に流用、主要機器を後継のビスタカーである特急用車両30000系の一部編成に流用しています。また10400/11400系“エースカー”は主要機器は他車へ流用されなかったものの、座席など内装品を南大阪線の特急車16000系の更新時に、冷房機器を当時近鉄だった伊賀線680系に流用されました。ただその後の特急車からは機器を一般車などへ転用したという事例は無いようです。
 名鉄は7500系のうち、延命更新工事を行わなかった後期車の主電動機と制御機器などを流用して1000/1200系と1800系の増備車に流用して、それぞれ1030/1230系と1850系となりました。また7000系も1984年と1987年に廃車が発生した時に、制御機器や台車を当時新製された8800系“パノラマDX”に流用し、また冷房機器は登場時には非冷房だった瀬戸線の6600系に流用されました。2008年には特急の運行体系が大幅に見直された際に余剰となった全車特別車1000系“パノラマSuper”の主要機器を流用して一般車の新5000系が、同じく全車特別車の1600系“パノラマSuper”の編成中2両を流用した一部特別車1700系が登場しました。前車は1000系が車齢20年程度と若かったためで、床下機器だけでなくパンタグラフや運転台周りの主幹制御機器までも流用されています。後者は更に若い車齢9年で余剰となり、同じ仕様として運用される一部特別車2200系に編入されて、方向転換の上でモ1700系とサ1650を特別車2両として2200系と共通化改造を施して活用し、残りの一般車4両は廃車となったク1600からも台車や一部床下機器を流用しつつ2200系とほぼ同形の車両を新製しました。

 一般車への格下げ改造を行わない前提で設計製造された新性能車以降の有料特急用車両ですが、床下機器の他車転用は調べてみると意外と多く驚きました。特に旧特急車から新特急車への機器流用は西武“レッドアロー”は有名ですが、近鉄“ビスタカー”や南海“サザン”も一部を機器流用して現在も活躍しているのは興味深いものです。
 また近鉄や小田急のように後継車が営業運用に就いても旧来車が完全に引退せずに活躍する例もありますが、近鉄の場合は特急車だけでも相当数を抱えていて一挙に置き換えるのは不可能である事、小田急はまったく他車への転用が利かない特殊な構造でなので、その中で看板特急の新鮮さを前面に出すためと思われます。なのである程度新旧混合の雲用を組んでも不自然ではなく、座席数などが同じなら共通運用で走らせてもでき、違うのであればそれぞれを限定運用で走らせれば問題ないでしょう。また近鉄のビスタII世が登場した後の初代ビスタカーや小田急のHiSEが登場して後のLSEのように塗装を後継車に合わせて車両に変化を持たせるというのも面白いと思いますし、末期に廃車になる前にリバイバルカラーとして登場当時の塗装に塗り替えるイベントを行って、更新を受けた車体で登場時とは微妙に違う姿に最初の塗装を施すという、少し最初とも最後とも違う形態で最後を迎えるというのも現実にもよくあるバリエーションの増やし方でもあります。また塗装デザインはその鉄道の伝統として初代より塗装を変更しないというのも、頑固一徹な個性としてありだといえます。


 初代の新性能有料特急車も一般型の初期新性能車と同様に既にすべてが淘汰されています。第2世代も第1世代の機器流用車もありますが、廃車が発生していたり更新工事が行われたものもあります。世代としては各社の置換えの時期がまちまちになるので、第3世代などとして明確なラインを引くことは出来ませんが、第1世代やその次の世代の後継として近年の現役車両に至る車両としては多くがVVVFインバータ制御車となっています。もちろんチョッパ制御や抵抗制御の車両も残っていますが、最新鋭として投入されているものはVVVF制御の車両です。西武の有料特急車の主力は先代特急車5000系や一般車101系の機器流用車をした1993年登場の10000系ですが、間が空いて2003年に増備された10112編成は完全新製車でVVVF制御となっています。同様の例は同じく先代特急車東武200系も増備車は完全新製のVVVF制御車となっています。これらの増備車は従来車の製造から時間が経っていて車体の構成は基本的に同じでも、パンタグラフがシングルアームになっていたり方向幕や愛称幕がLED化されていたり台車がボルスタレス化されているなど、技術の変化に合わせた変更がなされています。この2種には採用されていませんが最近の事例としてこの案を採用するとヘッドライトのHID化も追加すると良いかもしれません。
 基本的に新しい技術はまず一般車に投入し実績を重ねて特急車にも新技術を導入する傾向があります。これは別途料金を徴収する有料特急車で故障による運休、それに伴う料金の返還や旅客側の特急に対するイメージの低下を避けたいものがあるのだろうと思われます。このため有料特急としては元々特急車にはあまり向いていなかった制御方式とはいえ、チョッパ制御を採用したのは前述のように京成と東武、名鉄に留まっており、他社はチョッパ制御全盛期でも基本的に抵抗制御の新型特急車を登場させています。時代が変わり1980年代後半からVVVFインバータ制御が普及し始め1990年代に制御方式の主流になってくると、一般車だけでなく特急用車両にもだんだんと採用されるようになってきます。

料金不要特急第2世代以降
 料金不要で高品質の優等列車を走っている路線は、まず第一に始発駅と終着駅がそれなりに距離があって停車駅の少ない優等列車でも最低でも30分以上は乗車時間があるような路線での運用です。乗車時間が短いような区間は当然乗ってすぐ降りるので座席の良さを追求するよりも、すぐ乗れる便利性の方が好まれます。山陽電鉄との姫路直通運転を行う前の阪神電鉄はこうした理由で優等運用に充当される赤胴車から一旦クロスシート車を廃止し、内装は各停運用主体の青胴車と大差ないオールロングシート車となりました。。そして第二にこれらの車両が運用される区間は、まず間違いなく競合他社が存在する激戦区です。このため有料特急車両に負けず劣らずのペースで車両の置換えを行う事業者も少なくありません。ただ有料用車両と違い一般車に近い仕様で制作されるので、新型車両に置換えされると一般車への格下げ改造を受ける例が多く存在します。一般通勤車と特急等優等用車両に共通性を求めるのは、優等列車として区別されてはいるものの、一般通勤車の延長上の存在でありラッシュ時には急行以下の種別でも運転されて座席定員以上の乗客も乗せる必要があるからです。その他にも設計を共通化することによって製造コストの軽減は図る意味合いもあります。2扉クロスシートはラッシュ時の輸送にはかなり不利な要素ですが、それでも輸送力列車としては1本でも多く投入したいところであって、何とか両立させるべく車内配置に知恵を絞り、扉を広くしたり、扉廻りを広くとってオフピーク時にはその部分に補助シートが使用できるようにしたり、運用的には特急のほかに通勤特急や通勤急行といった所定より中間停車駅を少なくして遠近分離を行った運用に優先的に充当したり、朝には運用に就かないようにしてピークを過ぎる頃に出庫させて送り込みの各停や急行運用で車庫から優等運用の始発駅へと繋いだりしてラッシュ運用に不利な要素がなるべく出ないようにします。問題なのはピーク時に途中駅の乗客を拾えないことなので、始発駅やその次の駅辺りと多少なりとも下車が見込まれる中間主要駅に停車を抑えた運用に就くのなら、これらの問題は最小限に抑えられると思います。

 京急の500形や2000形、阪急京都線の優等用車両であった710系や1300系、2800系、京阪の1700系や1800系、1810系/1900系、西鉄の1000系や2000系など新性能化直前から以降にかけての各形式が後継車登場後に一般車と同等の格下げ改造を受けました。基本的に元優等車の格下げ改造となると二扉クロスシートから三扉ロングシートへとなりますが、京急500形は四扉ロングシートとなり、西鉄2000系は三扉クロスシートに格下げ改造されました。
 また格下げ改造が行われること無く廃車や転用されるものもあり、前述ですが名鉄の5000系と5200系は車体強度の関係で冷房化改造を行うことが出来ず、主電動機など一部機器を流用した上で廃車となりました。余談ですが5200系は車体を豊橋鉄道に譲渡されましたが、この際路面電車用の小型冷房装置を搭載して冷房化されました。
 京阪の3000系は後継の8000系に置き換えられた際に格下げされる事無く1編成を除いて廃車となりました。これは車体強度の問題や一般車の数が充足されていて格下げ改造しても改造コストが見合わな勝ったといわれています。しかしこの当時3000系の車齢がまだ20年程度だった事から先頭車が富山地方鉄道と大井川鉄道に譲渡されています。京阪優等車の置換えの時、1900系から3000系、3000系から8000系への置換えは当初後継車は従来車の増備分として投入されました。しかし乗客の反応は事業者の予想以上のもので、予定を変更して新形式車によって従来車両を置き換える例が続きました。
阪急京都線6300系も9300系に特急系列運用に置換えされた際に嵐山線用に4両に減車されて転用されました。格下げ転用ですが外観上は扉を窓の大きいものに変更された以外は変更されていません。座席配置に関してはオールクロスシートからセミクロスシートに変更されてクロスシート部は2列+2列から2列+1列に変更されています。これは嵐山線が通勤需要だけでなく観光需要も大きい事や運用区間が短いからだと思われます。また京都観光用に改造された特別編成の“京とれいん”も運用に就いています。三扉改造が行われなかったのは他車と扉の位置が違うためだからです。これは扉間のクロスシートをなるべく多くするための処置で両端に扉を寄せた出座座員となっています。後継の9300系は三扉クロスシートとなりました。こうした変更は6300系登場時には大阪〜京都間でほぼノンストップに近い形で運転されていたものの、近年は高槻市や茨木市など途中主要駅にも停車するようになり近距離乗降客の利便性と遠距離乗客の快適性の双方を追求した結果です。

 このように料金不要の優等車両は一般車とデザインは似たような列車を投入するのも良いでしょう。西鉄2000系や8000系のようにフラッグシップトレインとしてデザイン的には一般通勤車とは違うものを求める例もあります。車両性能もギヤ比や主電動機の出力など高速性能を重視しているものもありますが、架空鉄道ではスペックとして文章に表れるものなので、絵としてはあまり考慮しなくても良いでしょう。扉は二扉と一般車の三扉や四扉の両端扉の位置を合わせるのが整列乗車の観点から良いのですが、前述のように車内環境を重視して敢えてこの共通性を無視して車体両端に扉を設置した阪急6300系の例もあり、この場合はホームの乗車位置で二扉の車両、三扉の車両と区別した上でアナウンスしています。扉の位置を合わせるのは他にも格下げ改造時の三扉化の際にも有利ですし、三扉車や四扉車は車両内の扉の間隔を均等にしているだけでなく、隣の車両との扉もなるべく均等になるようにしています。側面窓は座席など車内配置の関係上でどうしても他社と違うレイアウトになるもので、クロスシートにあわせて、一座席づつ窓を置くか二座席に一つの窓を置くのが標準的な構成といえます。前者の一座席一窓は京阪の1900系にみられるもので、小窓がずらりと並んだ独特の光景となります。後者は京急2000形や阪急2800系、西鉄2000系にみられたもので、京急は基本的に固定窓一部(一部窓が開閉可能)、阪急は一段降下窓、西鉄は二段式ユニット窓を採用していて、当時一般車が採用していた方式の窓を、優等車両の座席配置に合わせた形で仕様変更をしたものとなっています。名鉄の7000系シリーズや京急の2100形は連接窓となっていますが、二座席で車体強度保持のための間柱が設置されています。
 足回りの制御機器は基本的に同時期に製作された形式と同じものを採用しているものが多く、阪急や名鉄7000系、西鉄、京急の2000形などはそれぞれ一般車を基本としていて、場合によっては高速運転に合わせた調整が行われています。イラストで車両を描く時には足回りを一般車と同じものをコピーして使いまわすのも特に問題は無いと思います。
 京急2100形や京阪旧3000系は前者がコストダウンと低メンテナンスを目指して他形式とは違う外国製の制御機器を採用しました。ただ低コストではあったものの互換性が無く保守に問題点があったため機器更新時期にあわせて日本製の機器に取り替えられました。京阪旧3000系は阪急や当時の国鉄と対抗するために一般車とは違う高性能な制御機器と主電動機が採用されました。ただこれは当時の京阪が600Vと低電圧であった点もあり、銃来車よりは高性能であったものの本来の性能を発揮するのは1500Vに昇圧するまで待たなければなりませんでした。
 最近登場した形式だと低コスト化は徹底されていて、極力他形式と主要機器を統一したものになる傾向があり、車体も全体的な構成は一般車により近づいています。イラストとして再現するなら、車体や足回りは共通化させて、側面などや扉配置、そして文字通り車両の“顔”である前面部の造型を力を入れて、優等車両としての個性を出すと良いでしょう。

大手私鉄に存在した気動車たち
 新性能車登場後に大手私鉄で気動車を保有していたのは東武と小田急、名鉄、南海のみです。東武と名鉄のLE-Carシリーズを除き、全てが国鉄の乗り入れを行うものでした。小田急電鉄は特に基本とした国鉄の形式はありませんでしたが、国鉄気動車で多く使用されていたエンジンをベースに勾配区間での運用を前提とした独自の改良を行った足回りに内装はボックスシートとした小田急独自仕様のキハ5000が製造されて、新宿から松田で国鉄御殿場線に乗り入れて御殿場まで運転され、小田急線内では当初は特別準急、後に国鉄線内で急行化された際の連絡急行を経て特急化されました。この列車は御殿場線電化後に3000形“SSE”や20000形“RSE”と受け継がれ、現在も60000形“MSE”を使用した特急「あさぎり」として運転が継続されています。
 南海電鉄は戦前より実施されていた紀勢線への直通運転を行っており、戦後も国鉄となった並行路線の阪和線に対抗するために国鉄キハ55系気動車と同系車のキハ5501形とキハ5551形を製作して、国鉄の気動車急行「きのくに」と併結して白浜や新宮まで運転されるようになりました。国鉄車との主な相違点としては、国鉄よりも建築限界の小さい南海線を走行するために窓開口部に保護棒を設けたり、全席指定の南海車である事を示すために方向幕のような表示機が取り付けられていた点です。南海線内では特急扱いの“連絡急行”として運行されて好評を博していましたが、キハ55をベースにした2エンジン車で冷房用電源を搭載するスペースが無く冷房化が行えなかった事と、紀勢本線和歌山〜新宮間が電化されて気動車急行「きのくに」が徐々に電車特急「くろしお」に格上げされていって、併結出来る気動車急行の運行が縮小そして全廃された事に伴いキハ55及び連絡急行の運転は廃止となりました。
 名鉄も戦前より高山線への乗り入れを実施していて、特別仕様のモ750を線内は自走し、高山線内は蒸機牽引で下呂まで直通運転を行っていました。戦中運行は途絶えましたが、戦後国鉄キハ58系をベースとしたキハ8000系列を導入して、再び高山線に乗り入れて高山まで直通運転を開始しました。キハ58を基にしていたとはいえパノラマカーのデザインを取り入れ、当初から冷房を装備し客窓には連接窓を、座席は転換クロスシートを採用して、運行開始当初の種別であった準急としては非常に豪華なものとなり、結果として後の準急「たかやま」から急行「たかやま」、そして特急「北アルプス」への格上げも容易に行える事となりました。また特急化の際に国鉄の特急車の象徴ともいえるヒゲ帯が配されましたが、塗装は急行のものと同じ色調のままでした。やがてキハ8000系列の老朽化が進み1991年にはJR東海の特急気動車キハ85をベースとしたキハ8500を高山線直通の後継車として登場させましたが直通列車の利用客が少なくなってきため、高山への輸送を鉄道からバスへとシフトして長年続いていた高山線直通列車は2001年に廃止となりました。ちなみにキハ8000系列は譲渡の話もあったようですが、結局解体されています。後継車のキハ8500は特急「北アルプス」廃止後に会津鉄道に譲渡されましたが、同鉄道とは部品の規格が違う車両で、尚且つ本車の性能には見合わない加減速を多用する運行で足回りを傷めてしまい登場から20年を経ずして廃車されてしまいました。
 また名鉄は1980年代中頃に閑散路線用に低コストなLE-Carと呼ばれる軽量気動車を導入しました。当時国鉄から転換された第三セクター鉄道用に試作されたLE-Carの試作運行を名鉄八百津線で行い、その成績をみた名鉄が電化設備を撤去した八百津線に導入し、後に三河線の猿投〜西中金と碧南〜吉良吉田の両末端区間にも同様な措置を行い導入されました。実車を直接見る機会があった事と、当時は特急「北アルプス」が運行されていて名鉄の乗務員に甲種内燃動力車免許を持っている人がいたのがLE-Car導入を容易にしたと思われます。名鉄車両全体からすると少数派でしたがバラエティに富んでいて最初に導入されたキハ10は2軸単車で1984年に最初に製作された3両は非冷房でしたが、1985年に増備された3両はバスの冷房機器を搭載しました。1987年には三河線でのLE-Car運行開始に伴いキハ10を拡大した風貌のボギー車キハ20が製造されました。これは2軸車の乗り心地の悪さや定員の少なさを改善したもので5両が製作され、主に三河線で運用されました。1995年にはバス部品を多用したために早くも老朽化が目立ってきたキハ10の置き換え用としてキハ30が導入されました。低コストではあるものの老朽化やモデルチェンジの早いバスの部品を使うのは長期的にみて経済的ではないと判断されて、鉄道部品が多用されました。予定通り本家意識によってキハ10を淘汰しましたが、気動車化された八百津線が2001年に廃止され、三河線の両区間も2004年に廃止されてキハ20とキハ30は全車廃車となり、名鉄の気動車運行に幕を下ろしました。
 東武は他の気動車を保有していた事業者と違い国鉄には乗り入れのためによる気動車の保有ではなく、戦時中に軍需路線として建設された熊谷線で運行するために気動車を導入していました。熊谷線は総延長10キロで駅数が4駅と小規模な路線で物資の不足していた戦中に非電化で開業し戦後も電化されることはありませんでした。1959年に老朽化した戦前型車両群を置き換えるためにキハ2000形を3両投入しました。当初は東武小泉線と繋げる予定でしたが、終戦によって軍需路線としての目的を失った後も路線を接続する予定が出ては消えて最終的に実現する事はありませんでした。もし東武の他路線と接続されていれば電化された可能性はあったかもしれませんが、孤立した離れ小島のような路線で軍の意向で敷設されたのだったため地元の流動とマッチしていなかったので客足が延びず、キハ2000形3両のまま1985年に熊谷線廃止と共に東武の気動車はひっそりと歴史を閉じました。最後まで活躍したキハ2000形は国鉄にモデルとなった車両はいませんが、エンジンや液体変速機を国鉄が採用していたものを流用していました。

 このように大手私鉄が気動車を運用するのは特殊な例といえます。非電化区間は戦前に建設された区間に若干存在していましたが、そのほとんどが後に電化されていますし、非電化で残る理由は見当たりません。1435ミリゲージのの鉄道は都市間を高速で運行するために標準軌を採用したのであり、そのため電車での運行は必然で当初から気動車での運行という選択肢は考えられません。京王や昔の京成で採用されていた1372ミリゲージは都電に乗り入れるのを考慮して採用したもので、これも気動車が運行される余地はありません。東武熊谷線を除いて国鉄への優等列車乗り入れが気動車導入の基本であり、小田急の御殿場乗り入れので多少ビジネス需要があったものの、温泉を中心とした観光が主体だったといえます。車両もほぼ国鉄車と同等な南海から国鉄車と自社車両を上手に融合させた名鉄、独自の車体を用意した小田急と三者三様ですが、足回りに関しては国鉄が採用していた機構を採用していて、これについては東武車にも当てはまります。こうなった理由としては各社が調達すべき気動車がとても少なく、最大でも名鉄8000系列の12両では動力機器を新規設計するメリットは無いですし、乗り入れ先で万一故障した場合に応急的にでも修理が可能という点はあると思われます。塗装は国鉄に準拠したものが多く、大手私鉄独自の塗装を採用したのは小田急車の登場時と名鉄キハ8500くらいですが、どちらを採用するのも面白いと思いますし明らかに国鉄車両のデザインを残した車体に私鉄独自の塗装や、逆に私鉄独自の車体に国鉄色を採用するのも意外性があって楽しいものでしょう。主に観光用として使われる車両なのでこうした遊び心も許されると思います。
 もう一つの例である名鉄の閑散区間用の気動車ですが、投入された頃は国鉄の廃止路線が地元資本と自治体によって引き継がれた、いわゆる第三セクター鉄道が次々に誕生した頃であり、これらの鉄道用に開発された低コストな気動車が数多く製作されていたので比較的容易に出来たものと思われます。初期の第三セクター鉄道用気動車は製作コストの低減を図るためにバスの部品と共通化していました。これはバスも製造していた車両メーカーの富士重工がLE-Carを開発したので共通化が容易だったのでしょう。ただ前述のようにコストは低かったものの、標準的な鉄道車両よりも部品の陳腐化は早く車両の寿命は短くなってしまったので、置換えサイクルも短くなってしまい、ランニングコストは思ったほど高くないと判断されて、後の気動車はバスの流用品は極力使わないようにしています。こうした気動車もよほどの閑散路線を保有していないと無理が出てくると思います。軌間を無視したとしても阪神や東急のようなほぼ全路線が都市部や住宅地を走る鉄道では気動車を導入するのは違和感があり、東武や名鉄、近鉄のような都市部を離れた地方にまで路線があるような鉄道での導入が妥当でしょう。

大手私鉄の軌道線と特殊な路線
軌道線編
 大手私鉄の中には中大型の鉄道規格の路線だけでなく、比較的小型の路面電車規格の軌道線が存在していました。現在併用軌道区間が残っているのは京阪電鉄の大津線のみですが、こちらは軌道法を適用して路面区間が残ってはいるものの道路上に停留所は存在せず、架線電圧も直流1500Vで信号設備は閉塞区間を持ち、車両も郊外型の中型車両で鉄道線準拠で路面電車とは一線を画したものとなっています。また東急世田谷線は併用軌道こそありませんが、架線電圧が直流600Vで信号も閉塞が存在しないもので、車両も路面電車サイズのものが使われており、軌道法準拠の純然たる軌道線です。これは元々は東急玉川線と呼ばれる軌道線の支線であった事の名残で併用区間が存在しなかった事や沿線が住宅地であった事、両端駅など郊外路線と接続していた事が東急の軌道線の中で唯一現在に至るまで存続できた利用でしょう。この二つが今も大手私鉄に残る広義の軌道線といって良いでしょう。また名鉄豊川線は現在でも軌道法が適用されている区間ですが、かつて豊川市内線として建設された名残で適用法令を変更していないものの、本線系と同等の施設や車両、信号設備を運用しています。
 このように今では特殊な形でしか残っていない大手私鉄軌道線ですが、かつては東武や名鉄、阪神、南海、阪神、西鉄が軌道線を保有していましたが、いずれも廃止或いは分社化や他社に譲渡されています。このため大手私鉄の軌道線車両の現在の姿を描くのは難しいのですが、他の軌道線鉄道会社を参考にして過去から現在までの車両変遷を予想してみましょう。
 事業者の形態に関わらず軌道線車両は鉄道線車両に比べて製作コストが高くなります。これは構造が特殊で製造数が少数になりやすく、量産効果を期待できないからです。最近路面電車復権を狙う軌道線事業者がリトルダンサーシリーズを筆頭とする超低床車を主構造部分を各社共通化してコストダウンの努力をしていますが、それでも億単位の価格となっています。このため新型車両を投入しつつも旧来の車両も整備して活躍を続けていて平均車齢は鉄道線よりも高くなっています。また名鉄のように大手私鉄でも他社から購入する例もあり、モ870形は札幌市交通局から購入したものであり、古くは北陸鉄道金沢市内線から購入したものもあり、当時南海が運営していた阪堺線に大阪市交通局や京都市交通局から車両を購入した例もありました。これは車両単価が高いというのもありますが、赤字路線で費用対効果の観点から新型車両を導入できないし、路線自体が廃止されるかもしれないという点もあります。現在の阪堺線で車齢80年のモ161がなかなか新車に置き換えられないのは堺方面の路線の存廃問題があり、この区間が廃止されるとモ161の分が余剰となってしまい、高い投資が無駄になってしまう可能性があるためだからといわれ、名鉄は廃線末期の20年ほどにモ870形やモ800形と新車を軌道線に投入しましたが、これらは廃線となっても系列会社に譲渡する前提があったからだともいわれています。軌道線事業を継続している鉄道会社では新車を導入しているものの、戦後まもなくや初期新性能車と同程度の車齢、最近では少数にはなりましたが戦前の車両も僅かながら残っています。最近ではバリアフリーの観点から超低床車両の導入を進めていますが、これらも自治体の経済的支援を受けている例が多いのが事実です。
 もし路線を現在も運営できる状況であるならば、恐らく市内中心部と鉄道線の駅、或いはJR線の中心駅とを結ぶ基幹路線が残っていると考えた方が良いでしょう。もっともこれくらいの規模の路線だと地下鉄に置き換わるのが妥当なのかもしれませんが、ちかてつも建設コストが高いので複数保有している都市は少数で地盤の関係から地下鉄を普及させられない広島などの例もありますので、こうした理由をひねり出すのが良いでしょう。こうして路線を存続させたとしてまず行うのは車両の大型化でしょう。昔は単行車がメインでしたが、乗降客の多い路線では連接車などで車両を大型化して対処していきます。2両連結という手もありますが、車体幅の狭い路面車両では貫通扉を設置することが困難なので連結運転では後方車両にも車掌を配置しなければならずコストが掛かる事や、道路の関係で急曲線が存在するために急曲線通過が容易で車体間の貫通部分が広くとれて前後車両の行き来が簡単な連接車が好まれたのだと思います。主にラッシュ時の輸送力向上のため二連接や三連接車も登場しましたが、軌道法では列車長30m以下とされているので、だいたい鉄道車両1両半程度の大きさとなりますが、車体幅など構造の差も考慮して1両程度の定員と考えたほうが良いでしょう。ただ近年の路面電車復権による行政側の理解もあり、環境が整っていれば特認を受けて30mを越える車両も運転できるようになっています。こういった車両はその長さから中間か後部に安全確認や料金徴収のために車掌を配置する場合が多く、車両設計の際には後扉付近に車掌を配置するスペースを設けると良いでしょう。従来からの単行車ですが、支線を幾つか作って大型車が経済的または物理的に入線できない路線として残しておくのも一つの手でしょう。これらの車両は支線運用だけでなく、本線で入出庫の送り込み運用や昼の閑散時間に運用してみるのもあるかと思います。それと名鉄などあまり例はありませんでしたが、単行車が連結を行ってラッシュ時に運用する事もあります。前述のとおり後方車両には車掌を乗務させる必要がありますが、これも多客時には仕方ないことでしょう。
 鉄道線と軌道線の相互乗り入れもありますが必要性などは他項目に譲るとして、とりあえずそうした運用があった場合を前提として記述します。まず基本的に幹線系と軌道線系は同じ直流電力を動力として使用しますが、前者は1500V、後者は600Vとなっています。この差によって複電圧車を導入する必要がありますが、抵抗制御車では意外と構造が複雑になってしまい、車体の小さな軌道線用車両ではどうしても機器の配置が問題となり、名鉄では冷房装置が制限されたりしました。しかし最近のVVVFインバータ制御車両は簡単に複電圧に対応出来るため車体スペースの制約はあまり考慮しなくても良いようです。それ以上に考えなければならない問題としては乗客定員と車体の大きさでしょう。軌道線では法令ギリギリ一杯の車体でも鉄道線では小型車両であり法令の特認を受けたとしても大幅に定員増大を図れるわけでもなく、最低でも4両以上で運転されている区間でも乗り入れには厳しいものがあります。ただ今まで軌道線と無関係だった鉄道線ではこうした収容人員の格差による問題が顕在化しますが、以前より名鉄の揖斐線と岐阜市内線のように関係のあった路線なら従来からの慣習によってそれほど問題はなくなると思います。名鉄の場合は鉄道線の揖斐線でも本線系に比べれば車体の小さい15m級の車両がラッシュ時でも3連、閑散時には単行で運転される区間で軌道線規格の連接車が乗り入れてもさほど格差は生じません。時間が経ってくると鉄道線規格の車両を独自に残すよりも少々コストが掛かっても運用上の制約の少なくなる鉄道と軌道を直通できる車両が主として来るようになるでしょう。大手私鉄ではありませんが、同じく鉄道と軌道の直通運転を行っている広島電鉄でも直通用車両で統一される事になりました。
 軌道線は最新の車両から戦前製造の車両まで様々な車両が活躍する舞台として魅力的な可能性を秘めていると思います。さすがに古い車両はラッシュ時の限定運用などで制限されるでしょうし、現状現存している軌道線を運営している事業者と単純に比較出来す、さすがに物凄く古い車両は淘汰されている可能性は高いですが、予備車確保や事実上の動態保存などの理由を付ながら、冷房化を始めとした近代化改造を行っていたりとアンバランスな印象も作り出せると思います。新車は路面電車が斜陽化に向っていた1960年台から1980年代にかけては車両の置換えに消極的でしたが、1980年代頃から徐々に復権し始めるようになるとVVVFインバータ制御など鉄道線にも劣らない新技術を盛り込んだ車両が登場するようになりました。このように場合によっては新車投入に穴が開いている状態になる可能性もあるわけですが、これを旧式車両残存の理由の一つにしても良いですし、前述の名鉄のように廃止された事業者の車両を購入して、まるで広電のような路面電車博物館の様相を出しても良いですし、インバータ制御や低床車など現代の新鋭車たちに道を譲りつつある過渡期の世界観を演出してみるのも良いでしょう。

モノレールや新交通システム、特殊狭軌線など
 モノレールや新交通システムを大手私鉄が採用した例はきわめて少なく、モノレールは小田急と名鉄、新交通システムは西武のみとなっており、そのいずれも鉄道線と自社が運営する遊園地など娯楽施設へのアクセスとして付設されました。これは通常の鉄道線の建設が困難な環境であった事や、移動手段と遊具に等しい存在として運転されていました。モノレールに関してはめ両者とも車体がレールを跨ぐ誇座式で、開業から廃止まで一貫して同じ形式が使用され置換えは行われずに終わりました。名鉄は東京モノレールと同じアルヴェーグ式を、小田急はロッキード式を採用と当時としては先進的な機構を採用していましたが、名鉄のものは東京モノレールの叩き台にもなりました。一方小田急のロッキード式は鉄製車輪を採用して高速運転も可能とされていましたが、小田急と姫路市でしか採用されず、世界的に見てもこの二例だけだったので、ロッキード社は早々に事業撤退して姫路市も1979年に路線を廃止してしまい、小田急が長らくその存在を守ってきました。しかし老朽化や更新に対する費用対効果が見込めず、小田急は2001年に、名鉄は2008年にそれぞれ廃線となり大手私鉄のモノレール事業は途絶える事になりました。
 西武の新交通システムは、以前は軽便規格で敷設された「おとぎ電車」や小型SLなど小型車両が運営された前述のモノレールのような移動手段兼遊具的存在でしたが、沿線に西武球場が建設されて輸送量が増大する事から、1985年に新交通システムによって置き換えられました。この際導入された8500系は新交通システム初のVVVFインバータ制御車となり、現在も活躍しています。
 架空鉄道でもしこれらのモノレールや新交通システムを採用しようとする場合も幹線としての採用は難しいと思います。ただこういった方式の交通機関は多くの場合に足回りにタイヤを採用していて急勾配に強く、やまや丘の上に造成された新興住宅地や遊園地・動物園と本線との間のアクセス手段として使うと良いでしょう。実際に名鉄のモノレールは最大97‰という急勾配に対処するためにモノレールが採用されたといわれていますし、西武は丘陵地帯を走るために急曲線や勾配に強い新交通システムを採用したものとなっています。

 純粋な鉄道路線ではありますが、日本での標準軌間である1067ミリ(世界的には狭軌)よりも狭い軌間がかつて日本各地に存在していました。その多くが廃止されるか1067ミリ以上に改軌されてしまいましたが、大手私鉄に存在したのは近鉄だけでした。西武山口線も762ミリの特殊狭軌でしたが、こちらは旧軍の資材活用の側面があり、また生活路線ではなかったので特殊な例といえます。近鉄の場合は三重交通が三重県内に敷設した軽便鉄道がその前進で鉄道部門を近鉄が吸収してもので、近鉄が巨大な路線もの一部として軽便鉄道の規格が必要だったとして採用したわけではありません。内部・八王子線と三岐鉄道に編入されてしまいましたが北勢線が現存していて、近鉄内では特殊狭軌線と呼ばれていました。軌間だけでなく建築限界などの規格が小さく特殊なもののために他路線からの車両を転用できず、一部を新製しながらも制御車や中間付随車は従来からの車両を更新流用しているものがあり製造コストを抑えています。またこの260形や270形は小さな車体のために製造当初の1970年代から80年代は搭載できるクーラーが存在せず非冷房のままでいましたが、近年三岐に移管された北勢線の車両はサービス向上のためにバスなどに使われる小型クーラーを搭載して冷房化されました。ただ建築限界と車体強度の関係で床置式を採用して定員が減少しています。
 特殊狭軌線を採用するのはその大手私鉄の歴史を積み上げた上での存在としてとなります。鉄道をとにかく簡易規格でも早く新規開業をしたいという時代は1900年代から1920年代辺りです。その後は自家用車はそれほど普及していなくても乗合バスが幅を利かせるようになり、輸送力の低い軽便鉄道は敷設されなくなりました。生き残った路線も輸送力増強のための改軌か廃止かを迫られました。1980年代以降に生き残った生活路線としての軽便鉄道は今も残る近鉄傘下の軽便鉄道だけとなりました。このため大手私鉄の軽便鉄道というのは例が非常に少なく、架空鉄道に採用するとしてもとても想像力を働かせるものになるでしょう。現代まで残るとしたら、田舎の区間よりもむしろ地方都市の市街地とその近郊を結ぶ区間に残せるかもしれません。というのは市街地で軽便規格の建築限界を採用していたら、街中では周囲に土地に余裕が無く路線の規格を改良するのは困難である可能性があるからです。こうして近年まで古い車両を更新して騙し騙し使い続けて、技術の発達で搭載機器が小型化されて、軽便用車両のような小さな車両でも本線規格の車両と遜色ないものが生み出せるかと思います。路面電車のように環境的な交通機関として再注目される展開もあって良いでしょう。

初期新性能車 抵抗制御車の終焉
 新性能車は高度経済成長による人口増加と都市近郊の住宅地の発展により次々と量産されて、特に新性能車としての技術が成熟した1960年代辺りに生産された形式は各社とも通勤型新性能車の主力として君臨しました。東部8000系はその代表のようなもので、実に712両もの製造数を誇りました。こうした形式はその保有数から一気に置き換えることは出来ず、前述のように車体更新を行い延命処置を施しながら活躍を続けました。しかし30年。40年と年月が経過するとさすがに老朽化は無視できないものとなって廃車が発生してきます。
 後継車として登場したチョッパー制御車やインバータ制御車は抵抗制御車よりも電力消費が抑えられて効率的な運用を組むことが出来ます。こうした長所を活かすには本線系の運転本数の多い区間に投入するのが省エネ効果も発揮できますし、多くの乗客の目にも触れてその存在と企業イメージをアピールする事が出来ます。こうして初期新性能車そして置換えサイクルの早い事業者では抵抗制御車全般が置き換え対象となって、京急や京王、東急、東京メトロでは抵抗制御車は完全に淘汰されて、更にはチョッパー車すら廃車やVVVF制御への改造により消滅しようとして徐々に本線系の運用から姿を消していき、大都市を中心とした多客区間ではラッシュ時などの輸送力列車としてのみ運用に就く事になります。こうして抵抗制御車の初期生産分を淘汰していきますが、大量生産された形式だと登場から生産終了まで5年や10年、最多の東武8000系に至っては20年もの長きにわたって生産されたため、初期車が経年に達して廃車され始めても、10年や20年も開きがあれば後期生産分はまだ寿命には多少の余裕がある場合もあります。こうして大量に生産される形式が存在するような事業者なら必ず支線運用を分割するような本線の末端区間などが存在して、中間車を抜いて短編成化、場合によってはワンマン化改造を行った編成をローカル区間用編成として投入していったりします。こうした運用は大抵コスト的にはあまり高いものではなく、わざわざ新造車両を投入するのは割に合わない事が多く、こうした古くもののまだ使用に耐えうる車両を改造して運用に就かせるケースがよくみられます。
 東武8000系や西武101系などがこうしたローカル運用改造を行い、廃車が進みつつも一部が活躍を続けて、東急の7000系も制御機器を載せ替えた上で支線運用に従事していますし、かつての京王5000系や京急700形、京阪1900系や2600系なども僅かに本線運用を残しつつも支線運用をメインに最後の活躍をしていました。また輸送力増強の方策が採られる前の初期の車両は15〜18m車といった戦前の規格を引きずった比較的小型の車両が本線形の車両規格の統一と支線系の輸送力の実体に合わせつつ近代化を形で支線用車両として末期の活躍をするものもあり、近鉄の860形や南海の22000系の改造車が充当されたりしています。
 ローカル化改造の代表例としてはワンマン化が挙げられます。ワンマン化は車掌が乗務せず運転士が運転業務の他に扉扱いなど従来車掌の業務を行うものです。ワンマン運用には大きく分けて二種類あり、駅が無人なため運転士が乗車券や運賃を扱う形態と、運賃や乗車券は有人駅で扱って運転士が行う車掌業務は扉扱いとホームの安全確認に留めるいわゆる都市型ワンマンに分けられます。前者は運転士が運賃を徴収する関係上、無人駅では運転士がいて運賃箱が設置されている運転台直後の扉からのみ下車出来る方式なために、編成を長くする事が出来ず原則として1両か2両編成となります。この場合1両目の後ろの扉が乗り口で前の扉が降り口となり、2両編成だと後ろの2両目の車両は乗降扉が締め切り扱いで移動は貫通扉からとなります。ただ駅員のいる駅では通常通り全部の扉を開閉します。
 後者の都市型ワンマンだと運賃を車内で扱わないので一般の運用と変わらないような2両以上の編成で運転されます。ただ編成が長いために運転士が従来どおりの形で安全確認を行うのは難しいと判断される事も多く、編成全体を確認できる4両から6両くらいが妥当なところで、そもそもワンマン運転が行われるような区間ではそれ以上の編成両数は必要ないかもしれません。
 ワンマン車の車両上の特徴としては運転台や乗降扉付近にワンマン表示を掲出したり、扉横に乗り口や降り口または締切を表示するモニターが外見上の特徴となります。ただ都市型ワンマンでは扉付近のモニターは不要で、阪急などのようにワンマン表示も掲出しない例もあります。また南海2270系(現和歌山電鐵2270系)のように、種車の降車扉と運転台が離れていたために扉を移設する工事を行なうものもありますがこうした例は少数で、乗務員室と扉までの間がデッドスペースになるのを承知で改造費軽減のためにそのままにしておくものも存在します。またこれらの車両は本線形の抵抗制御車が引退しても当面使うことを前提としているのか、それなりの更新改造が行われています。区間や運転頻度も本線のそれとは負担がかなり低いので、経年の高い車両でも長く運用できると思われ、架空鉄道でも最後までしぶとく残った抵抗制御車両として走らせると面白いでしょう。

 こうして初期新性能車に限らず抵抗制御車はだんだんと淘汰されていきますが、南海6000系は製造初年が1962年と50年に達する車齢ながらも未だに一両の廃車も発生せず当初より活躍の場としている高野線の主力車両の一員として変わらず運用に就いています。同世代の南海本線7000系の廃車が進行しているとは対照的ですが、これは車体がオールステンレスで腐食しにくいのが理由だと思われますが、それでも他社で同世代のステンレス車の東急7000系や京王3000系がほとんど消えているのを考えると驚異的だといえます。また同じく南海6200系や名鉄100系は経年40年に達する車両にVVVFインバータ制御への更新改造工事が行なわれています。阪急は制御機器更新は行っていないものの、車体など接客設備に大幅に手を加えた更新工事を行なっています。東武8000系は今でこそ廃車が進んでいますが40年以上も事故以外の廃車が発生せず、最初に廃車になった車両も老朽化が直接の理由ではなく、運用の変更による余剰が廃車となっています。二世代も前の制御方式の車両とはいえ、架空鉄道でも上手に演出できれば抵抗制御車両はまだまだ活躍の姿を見せることが出来そうです。

地方私鉄に譲渡される大手私鉄車両
 1970年代後半辺りからチョッパー車の登場と初期新性能車老朽化により廃車が発生し始めました。老朽化が原因のものもありますが、運用や環境の変化によって廃車になるものも少なくありませんでした。同じ頃の地方私鉄は戦前から戦後まもなくに製造された車両の老朽化が大手私鉄以上に進み運用上の悩みの種になっていて、特にこの頃の地方私鉄の車両はそれこそ一形式一車両といえるくらいに雑多で統一性が無く、部品の調達もままならない状態となってきて保守の苦労が絶えませんでした。大手私鉄で廃車になった車両は車齢20〜30年程度と地方私鉄ではまだまだ新しく運用には十分耐える存在です。大手私鉄の廃車はある程度纏まって発生する場合が多く、これらを一気に購入すれば形式の統一も図られますし、運用のノウハウは元の私鉄が持っているので信頼性も申し分ないという点もあります。一方譲渡元の大手私鉄も解体するのにも費用が掛かり、たとえ安くても譲渡して利益になればそれは良い事で、両者の利害が一致して車両譲渡が成立しました。
 旧性能車時代の譲渡は西武が積極的で系列の伊豆箱根鉄道や近江鉄道の他、流鉄や、三岐鉄道などに譲渡されて、その後の新性能車譲渡にも繋がっています。東急も3400形など比較的部品確保の容易な運輸省規格型の車両を譲渡していて、こちらも多くが新性能車での置換えも元東急車で行う事例が多数です。相模鉄道も17m旧の旧性能車は戦災復旧車など国鉄規格の機器を採用した車両が多くの私鉄に譲渡されていましたが、新性能車は20m級で複雑な直角カルダン駆動を採用したせいか、譲渡の実績はありません。
 新性能車の譲渡は東急が5000系から積極的に行っていて、系列の上田電鉄や伊豆急行のほかに福島交通や岳南鉄道、長野電鉄、熊本電鉄と5000系は多くの私鉄に譲渡されたあと、オールステンレスの7000系や7200系が弘南鉄道や秩父鉄道、北陸鉄道、水間鉄道などに譲渡されて、腐食しにくい車体で現在でも活躍する例も数多くあります。今まで挙げた東急の車両は18m級の車体で地方私鉄でも手頃な車両ですが、20m級の車両も積極的に譲渡されています。20m級車両を導入する地方私鉄の多くは秩父鉄道や長野電鉄、伊豆急など国鉄やJRの乗り入れ実績がある鉄道が多く、これらは国鉄規格の建築限界が確立されていて20m級車両の入線が容易だったためでしょう。特に伊豆急は元国鉄113/115系を置き換えるために、秩父鉄道は老朽化の深刻な元国鉄101系の置換えに東急8000系列を活用しています。
 西武の新性能車も20m級ですが、これらも多くは国鉄系の車両の入線実績があったり貨物列車が運転されていたりと、規格が高い鉄道となっています。101系シリーズは多くの地方私鉄に譲渡採用されていますが、この他に元特急車の5000系の車体が富山地鉄に譲渡されてJR 485系の足回りと組み合わせて使われています。
 近年車両譲渡に熱心なのが京王電鉄で京王線の5000系や3000系を数多くの地方私鉄に譲渡しています。京王の興味深いのは京王線で活躍した5000系の足回りが他の地方私鉄ではまったく採用されていない特殊な軌間の1372ミリだという点です。それでも富士急や伊予鉄道、一畑電車などに譲渡されたのは、系列の京王重機整備によって譲渡先の事情に応じた改造整備が行われているためで、譲渡の際に必須となる台車振り替えに始まり、必要に応じて扉増設やワンマン化に伴う機器の設置、冷房化改造などを行って、更には中間車を両運転台車にしたり、通勤車を観光仕様にしたりと大掛かりな改造も手掛けつつ、その後のメンテナンスの指導もしてアフターケアが充実しているといわれています。かつて他東急の車両を購入した私鉄に食い込む事例もあり、かつて東急5000系を運用していた岳南鉄道や松本電鉄は現在京王3000系を運用しています。また同社は京王以外の車両の改造も手がけていて、名古屋市交通局や営団の車両を地方私鉄向けに改造していて、両者とも第三軌条からパンタグラフ化など複雑な改造も実施しています。ただ京王電鉄は3000系も5000系も全車廃車が完了していて、京王に残った形式は全て4扉20m級車両で6000系は一切譲渡されずに引退しており、このような鋼製大型車は地方私鉄では敬遠される傾向にあります。老朽化した富士急の元京王5000系は20m級4扉車のJRの205系によって置き換えられていますが、これは京王6000系よりも経年が浅く、車体がステンレスという事から実現したものでしょう。
 小田急は過去には小型車が新潟交通や富士急行へ、大型旧性能車が秩父鉄道に譲渡されていたものの長らく譲渡が発生していませんでしたが、長野電鉄へ10000形“HiSE”が短編成化して2編成が譲渡されました。20000形“RSE”も譲渡の噂があります。
 近年の京成は系列や関連会社の北総鉄道や芝山鉄道、今は京成に吸収された千葉急行など運用上直結した鉄道以外には車両譲渡はされておらず、これらの会社にも貸し出しといった形で車籍は京成に残した状況となっています。
 京急は18m級の手頃な車体ながら足回りが1435ミリの標準軌なせいか、近年では琴電への譲渡だけになっています。琴電側では車両の近代化はひとまず一息ついていますが、今後運用に適した1000形や700形は残っておらず、600形は3両一単位なため、琴電に適した京急の車両が無くなってしまうので、これからが課題となると思われます。
 東武は8000系を40年以上使ったり、初期新性能車の足回りを新形式車に流用したりとなかなか譲渡に適した車両が現れず、上毛電鉄に譲渡された旧性能車体更新車の元3000系列以降は地方私鉄への譲渡は行われていません。会津鉄道や野岩鉄道に6050系が譲渡されていますが、これは乗り入れに伴う車両使用料の相殺が目的と思われ、ここで語っている車両譲渡とは意味合いが異なります。
東京メトロは比較的小型の銀座線の車両や丸の内線の車両が日立電鉄や銚子電鉄に譲渡され、元日比谷線の3000系が長野電鉄に譲渡されました。東西線5000系が東葉高速鉄道に譲渡されましたが、これは東西線の延長区間ともいえる路線で車両としては共通化を図りたかった意図があります。興味深い点は千代田線や有楽町線、東西線の車両がインドネシアへ譲渡されていています。こうした例は大手私鉄では他に東急だけとなっています。また車両譲渡だけでなく足回り機器が利用されるものもあり、軌間の違う車両を狭軌化する場合に東西線5000系や日比谷線3000系の台車や機器が使われています。
 関西の私鉄は車両譲渡に消極的な感じで、車両の置換え頻度の高かった阪神がかつて京福電鉄(現えちぜん鉄道)や琴電に譲渡していましたが、近年では実績はありません。
 阪急は元々車両譲渡は少なく長く車両を使うので、地方私鉄に移ったのは系列の能勢電鉄のみとなっています。元京都線の特急車2800系が富山地鉄に譲渡される話もありましたが、廃車と譲渡の時期が折り合わず実現しませんでした。
 その代わりに浮上したのは京阪3000系で、当初は一般車改造を受けていた2800系に搭載するクロスシートだけを購入する予定でしたが、車齢が20年程度で状態が良かったために阪急2800系の話が流れると京阪3000系購入へとへと計画は変更されました。問題は軌間が違い振り替えるべき台車も特殊なものでしたが、ちょうど狭軌で同じ方式の台車を持った営団車のものに取り替えられて8編成が導入され、富山地鉄最多の形式となりました。大井川鉄道にも1編成が譲渡されていますが、京阪も古い車両を長く使い続ける上に標準軌であるためか3000系以外の車両譲渡の実績は近年はありません。
 近鉄は大井川鉄道に旧性能車、新性能車各一形式を譲渡しているのみです。例外として伊賀鉄道と三岐鉄道北勢線が移管されて車両も移籍されていますが、これは路線ごと車両も含めた包括的な移籍で特殊な例といえます。また養老鉄道は車両や線路は近鉄の保有のままとなっており、伊賀鉄道とは状況は異なっているので老朽化の程度はあるとはいえ、伊賀鉄道は近鉄時代の車両を廃車してまったく出自の違う元東急の1000系を導入して車両の近代化を図りました。
 関西大手私鉄で一番車両譲渡に積極的なのが南海ですが、これも会社としては積極的なものではなく、程度の良い17m級車両の廃車が発生したためで、21001系や22001系が大井川鉄道や一畑電車、熊本電鉄に譲渡されました。また1990年代に旧性能車の1521形が弘南鉄道に譲渡されましたが、最初から主力として運用は想定せずラッシュ時の輸送力車両の意味合いでの導入として、乗客の減少や厳しい気象条件下での使用による痛みが激しくなってしまい思うように使えずに廃車となりました。また近鉄と同じ様に貴志川線を経営分離した和歌山電鐵に2270系6編成が移籍されています。
 名鉄は系列の豊橋鉄道に古くから旧性能車や5200系の車体を譲渡し、近年では7300系を譲渡して雑多な車両群を置き換えて形式を統一しましたが、旧性能車ではダイヤに乗らず遅延が常態化したために、僅か3年で元東急7200系に置き換えられる事態となりました。また廃線となった600V区間や廃止となったJR高山本線直通特急「北アルプス」用のキハ8500は経年が5〜25年程度と若かったので、600V区間用車両は系列の豊橋鉄道と福井鉄道(現在名鉄グループより離脱)に譲渡されたほか、モ590が古い車両ながらも冷房車であった事が気に入られたのか土佐電気軌道に2両が譲渡されました。キハ8500は優等用気動車として会津鉄道に譲渡されました。ただキハ8500は性能や規格が会津鉄道では合わなかったのか、エンジンや変速機などの痛みが進んでしまい2010年に引退してしまいました。名鉄は過去には富山地鉄や大井川鉄道、琴電にも車両譲渡を行っていますが、鉄道線の新性能車の譲渡実績は前述の5200系の車体のみとなっています。珍しい例としてオイルショックで鉄道の輸送力が大幅に増大した頃に東急から名鉄へ大手私鉄間の譲渡移籍がありました。戦後混乱期にはいくつか例のあった話ですが、新性能車登場後では極めて珍しい例で3700形7編成21両を譲り受けて名鉄としては珍しかった3扉車でラッシュ時などに活躍しました。
 西鉄は鉄道線車両の地方鉄道譲渡は行われておらず、軌道線の車両が広島電鉄や筑豊電気鉄道に譲渡されているのみです。また地方私鉄への譲渡ではありませんが、それに近い存在として600系などが標準軌の大牟田線から狭軌で独立路線の貝塚線(旧宮路岳線)へ台車振り替えの上で転属した例があります。

 最近ではVVVFインバータ制御車も初期車は登場から20年が経過しており、東急からは譲渡車も発生しています。十和田観光電鉄に譲渡された7700系は地方私鉄に払い下げられた初のVVVFインバータ制御車でメンテナンスフリーで整備が楽だったといわれていますが、実際には故障したら現場では手を付けられない精密機器の塊で、故障の発生頻度が抵抗制御よりも格段に低いというものの、故障してしまった場合には長期間車両が使えなくなるという自体もありえるためのが現状です。
 また京王3000系を伊予鉄道に譲渡した際には足回りを最新のIGBT素子のVVVFインバータ制御に換装しました。伊予鉄道では従来2両が基本で、導入した元3000系は3両固定編成となっていますが、電動車は3両のうち1両でしかもインバータ制御のため効率が良くなったので、コストは変わらない上で定員は増大したので、乗客サービスとしては向上しているといえます。また伊予鉄ではワンマン運転は現状では行っていないので、1〜2両に編成両数を抑えなければならない制約がとりあえず無いのも基本編成を増大させた要因であるといえます。
 上田電鉄と伊賀鉄道に譲渡された元東急1000系は当初からVVVF制御の車両として製造されたもので、日比谷線直通のために18m車体となり目蒲線や池上線系統でも運用されました。その後目蒲線の目黒/多摩川線の系統分離や日比谷線直通の運用減少によって余剰が発生しましたが、車齢25年程度の中型車体は地方私鉄に適していた事もあり、前述のように上田電鉄と伊賀鉄道に譲渡されました。2013年に東横線の副都心線直通開始に合わせて東急の日比谷線直通が廃止されるため、余剰となると思われる1000系が多くの地方私鉄に譲渡されるのが予想され、今後多くの老朽化した地方私鉄の車両が置き換えられるものと考えられます。 十和田に譲渡された東急7700系は車体は1952年初年製造と古いものですが、VVVF制御に換装された機器更新車で、前述の1000系と足回りに関してはさほど経年と技術的レベルは変わりません。また車体もオールステンレスで腐食などの劣化はあまり進んではいません。このため現在残っている7700系も地方私鉄に譲渡される可能性は多少はありますが、車体も若い1000系の余剰車が大量に存在してる現状では無いでしょう。

 架空大手私鉄でも廃車となった車両を架空の地方私鉄を作って払い下げるというパターンを作るのも面白いでしょう。ただ実在の大手私鉄から架空の地方私鉄に車両が移籍するのは簡単ですが、架空の大手私鉄”仕様の車両をイラストで描いてみるのはから実在の地方私鉄への移籍はさすがに無理な話だといえますが、絵心があるのならば「もしこの私鉄に譲渡されたら」という“IF”のデザインを描いてみるのも面白いかもしれません。大手私鉄側の立場に立てば、廃車後どこかの私鉄に譲渡されたという記載に留まるだけになるかもしれませんが、それでも大手私鉄や車両の歴史に重みを持たせるのにちょうど良い存在になるものと思われます。基本的に譲渡の分かれ目になる車齢は鋼製車は大体25年辺りかと思われますが、オールステンレス車は30年以降でも何とかなると思われます。ベストセラーは上記のように17〜18m級の車両ですが条件さえ整えれば20m級の大型車両でも自然に地方鉄道入りできます。また1990年代以降は譲渡車でも冷房は標準装備となってきます。時間的にやや遅れはしますが、大手私鉄で必要とされるサービスはやがて地方私鉄でも普通に提供すべきものとなってきて、その時間的な差は狭まってきています。こうした間隔を研究して再現すると実感的になるでしょう。逆に他社へ行くことなく廃車解体された形式にも、何故そうなったかを理由を付加する事により譲渡される車両とされなかった車両とリアルな存在感を出せると思います。

 また引退した車両を譲渡せずに事業用車として転用するケースもみられます。検測車として改造された東急の7200系アルミ車や、近鉄の2410系を改造したモワ24系検測車“はかるくん”、検測車やレール運搬車の牽引車として改造された元6000系のデワ600形、西鉄600形を救援車として改造したモエ900形などがあります。これらは大手私鉄の多くではモーターカーなど車籍のない機械扱いの車両によって行われてきた線路や架線の検測を、車籍のある車両を使って高速で営業時間内でも行えるようにするために投入されたものです。車籍のない機械扱いのモーターカーだとATSなど保安機器を搭載していないため営業時間内では基本的に運転できず、終電から初電までの間に線路封鎖を行って検査しなければなりませんが、もともと営業用として使われてきた車両ならばその必要はありませんし、一般の営業車両と同じ条件での走行で検査をすることが出来ます。このほか車籍を抹消して書類上は廃車扱いとした機械扱いの車両で検車区や工場で構内牽引車として残るものもあります。これらは両運転台の車両が多く、京阪では寝屋川工場で元京津線用で使われた路面電車タイプの小型車を牽引車として活用していましたが、近鉄では1Mの片運転台車の一方を簡単な運転台を設置して両運転台化したものもあります。
 必要に応じて扉や窓を塞いだりしますが、外見上は現役時代の姿とあまり変わりません。なので営業用車両とは違う塗装で事業用車両として区別をします。大手私鉄ではありませんがその一番有名な例が新幹線のドクターイエローでしょう。細部は違うものの0系や700系とよく似た車体で、それを明確に一般の車両ではないことを表わす為にあのような黄色い塗装が施されました。私鉄の例でも警戒色の黄色を採用する例は多く、近鉄のモワ24系や東急の検測車、京急の各種事業用車両は黄色主体の塗装で、西鉄の救援車は黄色一色となっています。構内牽引車でも近鉄や京阪のものも黄色を帯や前面に配置しています。また黄色ではありませんが京王のデワ600形は灰色の車体に赤のゼブラパターンで警戒色を構成しています。架空鉄道でも引退した車両の形態的バリエーションとして登場させるのも面白いと思います。
 改造車の多い非営業車ですが、近年では検測車では搭載する機器が高価なため長年使うためにコスト的な観点から新造車を投入する例も少なからずあり、東急や小田急は新製検測車を登場させています。これらも同じ時期に製造していた形式と共通化した設計であり、デザイン的にはこうした車両から流用するのも不自然ではありませんし、小田急のように検測車だけ製造して牽引する動力車は一般営業用車両といった方法もあります。こうした数多くの実在私鉄の例に倣って少数派といえる事業用車両をデザインしてみるのも良いでしょう。

大量増備された新性能車の置き換えかた 南海7000系の場合
 高度経済成長の時代、伸びゆく旅客需要に応えるために大量に製造され投入されました。こうした車両もやがて時が経つと老朽化して新形式車への置き換えが必要になってきます。多くの場合は新型車両によって置き換えが行われますが、大量に製造された形式で後継車も多くの両数を必要とする場合や、長年新形式車が導入されずに早急な置き換えが必要になっている場合は、様々な手段を用いて老朽車を淘汰していきます。こうした事例として南海7000系と7100系の事例をみていきましょう。

 南海7000系は南海本線の通勤車両近代化と輸送力増強を目的として1963年より5年間で90両が製造された通勤形電車です。また1969年からは7000系をマイナーチェンジした7100系が152両製造されました。その後製造された南海本線の通勤車は1985年〜1988年に9000系が32両、1992年より新1000系が76両、2007年より新8000系が導入されて現在も増備中となっています。このうち明確に7000系列の置き換えを目的とした形式は新1000系後期車と新8000系となっていますが、新1000系導入時に7000系列の廃車は発生しておらず、7000系列初廃車は2003年となっています。これは新1000系増備によるもので、7100系第1次車が36両が該当します。この第1次車は当初非冷房で登場し1979年に冷房改造されました。しかし大きな更新工事は行われず、1985年に中規模の更新工事が行われたものの、1次車の半数である18両の更新に留まり、その後も更新されることなく2003年に廃車となりました。
 7100系第1次車がそれよりも先に登場した7000系よりも先に廃車になったのかは、7000系は1983年より行われた大規模な更新工事が行われたためです。また7100系2次車以降も1989年より更新工事を行っており、7100系1次車のみが大掛かりな更新を行われませんでした。これは恐らく少数派の使用の違うグループであったからだと思われます。36両は比較的まとまった数だとは思いますが、7100系の総数152両からすると、後継車が登場した時に廃車対象としての白羽が立つのも無理はないかもしれません。2次車以降の更新工事は本格的なものであったので、1次車廃車から10年以上経った2014年初頭の時点で事故廃車の2両を除く114両全車が健在です。
 こうして更新工事により生き長らえた7000系ですが、2003年は登場から40年であり更新工事から20年を経過しており、老朽化は確実に進行していました。また大阪南部や関西空港など海風の影響を受けて走る区間も多く、塩害による腐食も悩みの種でもあり、更には更新工事時に主要機器を集約化したことにより、故障時の冗長性が無くなってしまい、4両編成単独で営業運転が行えないなど運用に制限が掛けられてしまう事となってしまい、これらと合わせて7000系の置き換えが懸案事項となっていました。
 しかし1000系を増備していたとはいえ予算に余裕が無いので、90両の7000系を一気に置き換える事は難しく、その上すぐ後に7100系の置き換えも控えていているのでは、他にも置き換える方法を模索しなければなりません。そこで新造車を投入するのに並行して別の方法も行っていきました。まず新造車は新8000系を新2000系に代わり導入しますが、これは2000系を踏襲しながら、JR東日本のE231系ベースの設計を取り入れる事によりコストを削減して、2013年までに4両組成9編成、計36両が営業を開始しています。悪くないペースだとは思いますが、車齢50年に達しようとする車両の老朽化は深刻な状態で、南海はある秘策を実行する事となりました。それは高野線用の2000系を7000系の置き換え用として転用するものです。2000系は1990年に運用を開始した形式で、ステンレス車体やVVVFインバータ制御を採用していて、更には高野線の運用を橋本で分断したため、直通用の2000系の運用が約半分にまで減ってしまい、多くの余剰車が発生していました。こうした事情で宙に浮いた形の2000系ですが、転用車とはいえ7000系列を置き換える形式としてはパッと見て申し分無いように思われます。前例として同じ高野線用の22000系が支線用に改造転用された事もあります。ただこの高野線用の形式というのが曲者で22000系も2000系も高野線橋本以遠の山岳区間用に製造されたいわゆるズームカーという点が問題として持ち上がりました。ズームカーというのは、平坦部のダイヤ過密区間では、他の通勤列車のじゃまにならないよう高速性能を維持しつつ、急こう配急曲線の存在する山岳区間でも運用できるような装備も持つ車両で、橋本以遠の路線規格の関係上で車体も南海本線の20.7mと比べて17mと小さくなっています。このため2000系をそのまま7000系の置き換えに使うことはできません。22000系の場合は高師浜線や多奈川線など支線の封じ込め運用に就けたので大きな問題にはなりませんでしたが、2000系での置き換えは本線系統となるので、運用を弄る必要が出てきます。結局普通運用の一部に2000系限定運用を組んで南海本線に充当しました。また扉の数と位置も違うので、時刻表に“2扉車”と記載し、車両にも先頭車助手席側にも大きく“2扉車”と掲示して、他の4扉 大型車との違いを強調しています。こうして南海本線に4両組成が6編成導入されて、7000系3編成10両を置き換え、この時初めて7000系に廃車が出ました。この後は主に新8000系の増備によって2両組成の編成を中心に、約半数強が廃車となりました。
 新製車として増備が進んでいる新8000系ですが、2007年の登場から2013年度時点で4両組成11編成が運用を開始しています。ペースとしてはそれなりですが、しかしながら7100系と合わせると、2014年時点で車齢40年以上の車両がまだまだ150両ほど残っています。このため南海はまたもや高野線系統からの転用車で7000系の置き換えを試みました。しかも高野線系統の車両ではあるものの、実は南海の所属ではない大阪府都市開発(泉北高速鉄道)3000系4両組成3編成と2両組成1編成14両を譲り受けた上で南海本線に転用するという大手私鉄ではなかなかみられない方法で、7000系列置き換えの一端を担わせました。泉北高速鉄道線は南海と別事業体ですが、運転上は南海の一支線ともいえる路線で車両も南海車に準拠しており、この3000系も高野線用の6200系をベースとしていて自社車両と同様の扱いができたため、今回のような異例ともいえる措置が実行できたものといえます。
 このように新製車だけでなく、使えるもの置き換え対象よりは若い車両を色々と利用して老朽車を廃車にする例は実物の鉄道事業者でも存在します。多くの場合は同一事業者の車両を使った直接的置き換えか、新車を入れて経年の浅い在来車を捻出して玉突きで老朽車を置き換えるというパターンが圧倒的ですが、このように様々と知恵を絞った置き換え計画が存在していたりします。事実は小説よりも奇なりとよく言われますが、少々無理がありそうな計画案でも、筋さえ通しておけば立派に成り立つものと思います。大手私鉄ではありませんが、JR北海道のキハ130のように、運用コスト削減のために軽快気動車を導入してみたものの、厳しい路線環境のために老朽化が予想以上に早く進み、結局置き換え対象であったキハ40に戻ってしまうといった例もあります。そこまでの例は極端だと思うものの、当初の予定とは見込みが違って車両運用計画が変更になってしまうということもあるでしょうし、それを盛り込んでも良いかもしれません。この辺りも不自然に見えないように見せるのが、架空鉄道製作者のテクニックに掛かっているといえるでしょう。
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 余談ながら高野線の方では7000系より登場が1962年と1年古い6000系が存在しますが、こちらはなんと1両も廃車が発生しておらず、72両全車が健在です。これはオールステンレス製の車体であるためで、鋼製車では悩みの種の腐食が全く無く修繕や更新の必要性が無いためだと言われています。ただ足回りなど機器関係の老朽化は進行してますが、台車は冷房化工事の時に振り替えられており、制御機器は現状でも維持が可能とされていますが、片開き扉の機器が枯渇してきているといわれて、廃車になった南海本線の7000系から部品取りをしたりしているとされています。
 また7100系との兄弟車の6100系はこちらもオールステンレス車体で76両全車が健在ですが、6000系と同じく台車交換をした際に形式を6100系から6300系としたため、書類上は形式消滅をしています。この台車交換は2009年まで行われたので、今後も活躍するとみて良いでしょう。そして1974年登場の6200系もオールステンレス車体で2014年で40年を迎える形式ですが、経年35年を迎えた2009年より始まった更新工事時に制御機器を8000系と同じVVVFインバータ化を行いました。これらは南海本線の7000系列置き換えを最優先とした結果といえますが、高野線も一気に車両の置き換えが発生しないよう各形式の経年に見合った延命工事を施しているもので、オールステンレス車体の長寿命を最大限に生かしたものともいえるでしょう。