戦中・戦後から1950年代半ばまで
 日本の電車最初の大転換点は昭和30年辺りに登場したカルダン駆動車の登場でしょう。この車両の登場により、それまでの車両を旧性能車、カルダン車以降の車両を高性能車とか新性能車と呼んでいて、これはチョッパ制御車やVVVF制御車登場以降も変わらぬ呼称となっています。
 さてこれら新性能車が取って代わろうとしていた車両たちはどのようなものだったのでしょうか。これは各大手私鉄によって違いますが、大まかな系譜としては木造電車や半鋼製車などが挙げられ、木造車は主に大正や昭和の初期に作られていました。これらの車両は車体強度は低く小型で床下には台枠のねじれを防ぐトラス棒が付いていたりしました。やがて昭和に入り徐々に車両製造技術が向上してきて、車体が大型化されて半鋼製車や鋼製車がだんだんと主力となってきます。昭和10年前後は都市間輸送の競争激化で高速化や輸送力の増強が進み、京急の230形や阪急の900系、南海の1201系など昭和50年代まで活躍する車両たちが登場します。また流線型が流行して名鉄の3400形や850形、阪急200系、京阪1000形、西鉄200形などが流線型として登場しましたが、実際には空気抵抗が問題になるほどの速度を出していなかったので、流線型の効果は低かったようです。その後大戦を経て一時的に停滞期に入りますが、戦後の混乱を乗り越え再び日本の鉄道は成長発展を遂げていきます。
 戦後復興期における鉄道の第一の課題は、不足する輸送力の確保でした。この命題に大手私鉄は戦争で被災した車両や設備を急ぎ復旧をしました。資材も不足する中で電装品が足りない場合には機関車で電車を牽引するという運転も行われていました。それでもなお車両が不足するので、戦中から戦後にかけて製造されたモハ63形電車が一部の大手私鉄に割り当てられました。戦時設計のため最小限の粗悪な作りでしたが、大型で大量輸送に向いていたので、東武鉄道や小田急電鉄、相模鉄道、名古屋鉄道、南海電鉄、山陽電鉄に投入されて、その代わりに小型車両を地方私鉄向けに捻出しました。このモハ63形は現在のJRにまで受け継がれる20m級4扉の通勤型電車の母体となった大型車ですが、戦後間もない頃までの多くの私鉄は小中型車が主力となっていて、そのままでは車体の大きいモハ63形を運用するには困難を極めました。結局名鉄は運用をあきらめて、運輸省規格型電車へと切り替えモハ63形を小田急へと車両を譲渡しましたが、関東の私鉄では施設の改良を行いモハ63形電車を使いこなし、後の高度経済成長期における新性能大型車導入の布石となりました。名鉄を除く各私鉄はモハ63形に更新工事を行ない、東武は7300形、小田急は1800形、相鉄は3000形、南海は1520形、山陽は2700形として1980年代まで活躍しました。そして山陽を除く各線は以後20m車を主力として投入し続ける事になります。
 国鉄規格のモハ63形はさすがに大きすぎて、上記以外の私鉄には導入は難しいものでした。このため政府は運輸省規格型という設計を共通化した電車を提示し、幾つかの分類されたタイプを選んで車両を製造して資源やコストを抑制するという案を出しました。これにより東急や名鉄、阪急、京阪、西鉄などの大手私鉄がこの規格を採用し、大手のみならず富山地鉄や遠州鉄道、神戸電鉄も採用しました。しかしそれぞれ各鉄道には独自の規格があり、それによって設計の変更が行われたので思ったほどに設計の共通化はできませんでした。この運輸省規格型として製造された電車としては東急の3700形や名鉄の3800形が挙げられます。
 1950年代になると余裕も出てきて、京成や東武、小田急に京急、名鉄、近鉄、京阪、南海と続々優等列車用の車両を投入し始めます。また超軽量構造とまではいかないものの、京急初代600形や京王2600系などノーシル・ノーヘッダーのスマートな車体の車両が登場してきます。
 また1950年代の大きな特徴として前面の湘南形デザインの流行も外せない事柄でしょう。東武では猫ヒゲこと5700系A編成や西武では通勤車旧501系から3000系にまで至る各車、京成1600形、小田急2300系、京王2700系、京急旧600形、相鉄5000系、東急初代5000系、名鉄初代5000系、南海11001系、阪神3011系、近鉄409形、西鉄1000系などほとんどの大手私鉄でデザインが採用され、地方私鉄でも多くで採用されています。


 最初に現代を舞台にした架空鉄道を作るとしたら、この時代の設定はまだ詳しく作る必要は無いでしょう。50年近く前の時代ですし、この時代に作られた車両は大手私鉄には残存していません。ただこの数年後に登場する車体更新車や機器流用車などのベースとして、歴代車両の世界観に深みを持たせることができるでしょう。


新性能電車の出現
 戦後急速に発展し続けてきた電車ですが、1950年代半ばに大きな転機を迎えます。それはカルダン駆動と超軽量構造の車体を採用した新性能電車の登場です。1953年に東武の5720系が試作的にカルダン駆動を採用し、同じく京阪1800系が量産車としてのカルダン駆動車として運用を開始しました。しかし両者とも車体は従来と同じもので、その後超軽量構造の車体を新性能車として初めて採用した東急の初代5000系や。発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキを採用した小田急の新性能車2200系が登場しています。その後徐々に各大手私鉄に新性能車が登場して1963年の西武601系の登場で全ての大手私鉄に新性能電車が導入されました。
 軽量高性能でメンテが容易なの新性能車の登場により、日本の鉄道は新しい時代を迎えました。高速性能も経済性も吊掛式より有利なため、会社によって優等列車用や通勤用として導入されています。例えば京急や名鉄、京阪、阪神、山陽、西鉄が優等列車用として各社初の新性能車を投入していますが、優等列車といっても料金不要の列車でした。東武や西武、東急など関東の私鉄の多くは通勤用として初めてカルダン駆動車を導入しています。

 架空鉄道にカルダン駆動車を始めて導入する場合は1955年から1960年辺りが良いでしょう。日本初を得たくて1953年緯線に設定するのを良いかもしれませんが、それなりの説得力を用意した方が良いと思うので、あまりオススメしません。導入する際の用途は路線の環境により変わってくると思います。近距離主体の鉄道なら通勤用の車両を選ぶべきでしょうし、比較的距離のある路線なら優等列車用の車両にカルダン駆動車を選んだ方が良いかと思いますが、有料特急用には実在の大手私鉄では多くがカルダン車初導入から数年後に投入しています。これは恐らく確立し切れていない技術を持つ車両を特別料金を徴収する列車に投入したくなかったのではないかと思います。

表1.各大手私鉄の新性能車形式の初導入・引退年
会 社 名 形 式 導 入 年 引 退 年 備 考
東武鉄道 2000系 1961年 1993年 ※1
西武鉄道 601系 1963年 1981年  
京成電鉄 750系 1954年 1973年  
東急電鉄 5000系 1954年 1986年 ※2
京王電鉄 2000系 1957年 1983年  
小田急電鉄 2200系 1954年 1984年  
京浜急行 600形(2代) 1956年 1986年  
帝都高速度交通営団 300形 1954年 1996年 ※3
相模鉄道 5000系 1955年 1975年  
名古屋鉄道 5000系 1955年 1986年 ※4
近畿日本鉄道 1460系 1954年 1988年 ※5
阪急電鉄 1000系 1954年 1985年  
京阪電鉄 1800系 1953年 1982年  
南海電鉄 11001系 1954年 1974年  
阪神電鉄 3011形 1954年 1984年  
山陽電鉄 2000系 1956年 1990年  
神戸電鉄 デ300形 1960年 1994年  
西日本鉄道 1000形 1957年 2001年  
日本国有鉄道 101系 1957年 2003年 ※6

※1.試作車としては5700系C編成が1953年に登場、後に吊掛け駆動化されて1991年に引退。
※2.熊本電鉄に2両現存(2012年現在:置換え計画はあり)
※3.現東京地下鉄(東京メトロ)
※4.5300系に一部機器が流用されて残存(2012年現在:一部が廃車)
※5.試作車としては1954年に1450系が登場、1986年に引退。
※6.秩父鉄道に譲渡された少数が残存(2012年現在:ただし置換え進行中)

 各大手私鉄におけるそれぞれ初の新性能車、その登場から引退までの年月を表にまとめました。2012年現在ではさすがに50年を越える年月を経過してその形式は元の私鉄では引退していますが、初期新性能車の代表的存在といえる東急5000系と国鉄101系が置換え計画が進行中とはいえ、譲渡先で未だに健在なのは驚きです。また名鉄には5000系の機器流用車である5300系がいますが、流用したのは台車とモーター、コンプレッサーで、後に台車とコンプレッサーは新造品に交換されて、現在残っている編成はモーター以外は全て新造されたものとなっています。

改良を重ねて増備される新性能電車たち
 新性能車が登場した頃から各大手私鉄は高度経済成長の波に乗って乗車人員が右肩上がりに増えていき、積極的に輸送力を増やしていかないと追いつかない状況となりました。このために導入されることとなった新性能車ですが、様々な試験を行ったものの実際運用に投入してみて初めてわかる改善点なども多く、これらを踏まえて各社は改良車を投入する事になりました。国鉄でいえば101系に対する103系や111系に対する113系となります。改善を必要とした部分は各私鉄によって違いますが、例を挙げると全電動車は非経済的として一両辺りの出力を強化して、代わりにモーターを持たない付随車を導入したり、ラッシュ時の混雑に対応するために車体幅を限界一杯に広げる幅広車への変更や駅での乗り降りを容易にする為に片開き扉から両開き扉への変更、側面窓を保守や操作性を重視して二段式の窓から一段降下式の窓に変更などがあります。また新機軸を盛り込みながらもそれ以前の技術を混在していた形式もあり、制動方式に自動空気ブレーキを採用していたものはその後の改良形式で電磁直通ブレーキに変更しているものもあります。こうしてモデルチェンジを繰り返し、各路線の実情に合わせ新性能車は進化・発展していきました。
 関西では国鉄などと競合するためか、高加減速を重視したり定速機能を持った通勤用車両を投入して優位に立とうとしました。これらの特徴として車両に愛称を付けていました。阪神の5000系ジェットカーは有名ですが、近鉄の6800系ラビットカーや京阪の2000系スーパーカー、阪急2000系オートカーなどが挙げられます。関東では小田急のロマンスカー、関西では近鉄のビスタカーなどに代表される優等用車両への愛称は鉄道会社のイメージリーダーという位置付けとして各地でみられますが、通勤型車両にこうした愛称をつけるのは、関西の私鉄各社がそれだけこれら新性能車に期待をかけていたからなのでしょう。


 架空鉄道でこのようなモデルチェンジを再現するとしたら、第一世代の新性能車はあえて新機軸を盛り込んでいない部分を残す演出をしてみるのが良いでしょう。例えば南海の7000系から7100系のように片開き側扉と二段窓から両開き側扉と一段下降窓に変更といったものや、名鉄5000系と5200系のように輸送量増大のために複数編成の連結運転を考慮した前面貫通扉を設けるものや、近鉄1460系から1780系のように前照灯を白熱灯からシールドビームに変更するなど、実例を探しても様々なものがあります。この場合はマイナーチェンジなため、形式の番号は少しずらしてつけると実感的になります。上に出した例でも、100番違いや10番違いで先輩に当たる形式の流れを汲む形式というのがわかるようになっています。
 このように改良が重ねられていますが、冷房化に関してはまだまだ先の話で、1959年登場の名鉄5500系がその走りとなりますが、これは名古屋周辺特有の高い自家用車保有率に対抗するためで、当時は家や車にもあまり普及していなかった冷房装置を特別料金不要の列車の搭載する事によって鉄道を利用してもらおうという目論みがあり、それほど車との競争が激しくない他社では有料特急車に冷房は搭載したものの、一般車へはすぐに普及しませんでした。

新性能車が足りない!
 新性能車は各大手私鉄の輸送体系を大きく変えました。登場後改良を加えながらどんどんと増備されていき、旅客増加分と老朽化した戦前製造車の置換えの両方を目的として製造されました。しかし増え続ける旅客に対応するには車両だけでなく路線や駅の新設や改良をしていく必要もあり、いかに車両を増やそうにも予算に限界がありました。事業者も乗客も完全な新車を望みますが、パイが限られている以上輸送力増強のための何か別の方法を考えなければなりません。そこで新性能車によって置換えの対象となっていた戦前製の中小型車に目をつけました。これらは製造されてから30〜40年経っており、さらには途中で戦争を経験して戦災を経験するか被害を受けなかったとしても、まともな整備を受けられなかった場合もあり車体に傷みが進んでいました。また15〜17mの車長はラッシュ時の運転には容量不足でした。ただこの時代の車両は客室設備など上回りが陳腐化しても、足回りは丈夫で40年経過しても十分に使用可能でした。関係者はこの点に注目し旧型車の走行機器を流用して車体を新製し、新車に伍する車両を製作して輸送力増強をしました。例として東武3000系や小田急の4000形、名鉄の3700形シリーズがこれにあたります。もともと中小型車の足回りに20mの大型車体を載せるのに不安があったかもしれませんが、新性能車に採用された軽量車体を採用したのであまり問題にはなりませんでした。それよりも新性能車と車体を合わせることによって規格が統一されるメリットの方が大きかったといえます。東武や名鉄の場合は種車となった車両が元々低出力だったので本線の主力車両としては使われず、主に支線系の近代化に務めました。小田急の4000形は旧性能時代に運用自体は限定されましたが、他の大型新性能車と変わらない運用に就き輸送力の大きい大型車の力を存分に発揮しました。
 また戦後の復興期に導入された大型車両も最低限の車内設備を施しただけあったり、急速な車両の進化によって見劣りがするようになってきました。これらの大型車両についても車体更新を行い接客設備を向上してレベルをあわせる工事が行なわれました。モハ63形を車体更新した小田急1800形やモハ63形を参考にして作られた7800形、名鉄の7300形などが時期は下りますが該当します。車体は近代化されて運用は分かれていたものの、更新当初は新性能車と変わらないような運用でラッシュ時を中心に活躍して戦後経済成長期の輸送力増強に寄与しました。しかし新性能車が充実してくるとこれら車体更新車や機器流用車は性能的に見劣りし、改造当時はまだ十分使用に耐えた機器も老朽化が目立つようになってきて、徐々に活躍の場を狭めていきます。一部は小田急4000形のように足回りの新性能化を実施して延命を行います。極めつけは相模鉄道の3000系で原型はモハ63形やその他20m級戦災復旧車を集めて形式化されたものですが、1964年ごろから走行機器は流用したうえで駆動装置をカルダン駆動化して車体は新製されました。そして3000系の改造はこれで終わらず1986年に車体更新と冷房化と並行して、走行機器のVVVF制御化が行われました。吊掛駆動車がカルダン駆動化を経てVVVF制御となった例は日本唯一のものでした。約50年ほどの長期間運用された3000系ですが、製造から廃車まで全期間を通じて残っていた部位は恐らく台枠だけだったといわれています。
 高度経済成長期の仇花のような存在かと思われた吊掛駆動の足回りを使った機器流用車ですが、20世紀も末に近づこうとしていた1986年に名鉄で再び登場しました。これは国鉄がJRとなり名古屋地区の旧国鉄区間のサービスが飛躍的に向上していき、それまで独占状態に近かった名鉄も車両設備の向上に迫られたためで、5700系や1000系、6500系など新型車両を続々投入していったものの、短期間に多くの新車を揃えるのは難しく非冷房車として淘汰した旧型車両の足回りに着目して、支線用の車両向けとして機器流用車を製造し投入しました。これも時代は違いますが前述の車両たちと同じ様に支線や普通列車という割りに負担の少ない運用でまだ使用に耐える旧型車の足回りに新製した冷房装備の3扉車体を載せて、20世紀後半の車内設備として遜色ない車両を安い製造コストで投入しようとしたもので、本線系統に3300系が4編成12両、独立した系統の瀬戸線に6750系が6編成24両製造されました。投入年度は1986年ではあるものの足回りは戦前から戦後まもなくのもので長期の使用は前提としておらず、3300系は製造から16年の2003年に、6750系は25年の2011年に運用離脱し廃車となりました。一応6750系の第2次車は後にカルダン駆動へと改造できるように準備工事がされていましたが、これが活かされる事はありませんでした。ちなみにこの名鉄6750系の引退を以って大手私鉄の本線系吊掛駆動車の歴史に終止符が打たれました。

 近代的な車体と旧態然とした足回りのアンバランスは趣味的に非常にそそられる題材です。今現在運用される車両として設定するのは少々無理があるかもしれませんが、近過去に存在した車両として描くのはその大手私鉄の車両の歴史に厚みを持たせることになるでしょう。同時期に製造されている新性能車に準じた車体に吊掛駆動ながら台車は最新のものを履いていたりして一見すると両者を見間違えるようなものもありますが、最新の車体でも台車は種車のものをそのまま流用していたり、あえて車齢を短く見積もった設計として裾絞りの無い切妻車体で窓や扉に共通性を見出すのも良いでしょう。小田急でいうと前者が4000形で後者が1800形となります。新性能車と旧型車の区別は駆動方式が主なので台車以外の床下機器で旧型感を出すのは意外と難しいものなのですが、抵抗器を多めに配置してみたり元空気溜め(タンク)を大きめに描いてみたりして無骨感を出してみると違いを表現できるかと思います。この辺りは実車をよく観察してみて再現してみましょう。

車内環境の向上を目指して
 ある程度距離のある路線や競合路線が存在するところでは優等列車に新性能車が投入されました。こうした優等車両には快適な車内設備を提供するため、座席はクロスシートが採用されました。名鉄や京阪、南海は2扉転換クロスシート車を京急、阪神、西鉄は2扉セミクロスシート車を投入して中距離輸送と競合路線を意識した運転が行われました。
 これらの優等列車用初期新性能車の特徴としては2扉で登場した点です。これは少しでも多くの着席定員を確保しようとした結果であるといえます。現在では主に関西方面で活躍している通勤・近郊用の転換クロスシート車が駅での乗降に有利な3扉であるのに対して、この当時は乗車中のサービスを優先した結果だといえます。3扉の転換クロスシートが主流になるのは近鉄の5200系登場以降で、JR初の3扉転換クロスシート車となるJR西日本221系は、この近鉄5200系の車内配置を参考にしたといわれています。また余談ですが同じ近鉄には一般車の長距離運用のある大阪線用には4扉で固定クロスシートの2600系(1970年登場)が存在していました。名張などから長躯大阪まで長時間乗車する客も多かったためにクロスシート車を導入したのですが、さすがにシートピッチが狭く登場当初は背ずりも低く窮屈な乗り心地で評価はイマイチでした。このため1988年には前述の5200系に置き換えられて、改良型の2610系はロングシートとクロスシートを用途によって切り替えられるL/Cカーに改造されて4扉固定クロスシートは消滅しました。また各私鉄によっては通勤通学客の大幅な増加や通勤車への格下げなどにより乗降扉の増設(主として2扉→3扉化)やロングシート化されて、一般通勤車として第二の人生を歩む形式もありました。

 車内を設定し説明するのは架空鉄道ではなかなか難しいと思います。しかしどういう意図で持ってクロスシートを採用し投入したのかとか、それが時代にそぐわなくなってきてロングシート化改造を行ったなど、これらも鉄道会社や沿線環境の変化を表わすものとして興味深いものだといえます。また車内のカラーデザインも時代の変遷による違いを出すというのも面白いでしょう。これは地域に寄らず各鉄道会社や時代によって違いがあり一概には言えないものですが、基本的に室内壁の化粧版とシートの色は同系色にしたものが多いように見受けられますが、過去の名鉄のようにシートは臙脂色や赤色でも化粧板は水色系統だったりと例外も存在します。
 トイレに関しては私鉄車両では一般型車両にトイレを設置する例はあまり無く、近鉄の大阪線や名古屋線の長距離の運用に付く車両や東武6050系や西武4000系のような長距離で有料特急などを補完する運用や観光向け運用に就き、場合によっては団体運用にも充当される車両に設置されています。

 旅客への快適なサービスを提供する手段として座席と共に挙げられるのが冷房装置の装備でしょう。大手私鉄最初の冷房装置装備は1936年製の南海2001形ですが、大戦により数年で使用停止となった上に試作的な存在として一部車両にのみ搭載されたので、本格的な一般型量産冷房車は1959年製の名鉄5500系となります。他の地区の私鉄の冷房化は、関東では1968年に冷房車として試作新製された京王5000系、これは同時にオールロングシートの純粋な通勤車両として初の冷房化にもなり、関西では1969年に当初から冷房装置を搭載して登場した京阪2400系がそれぞれ初となりました。1970年ごろを境として新製車は相次いで冷房装置を搭載して登場し、それ以前から運用に就いていた既存車両も冷房化改造され、当初非冷房車として登場して生産が続いていた形式も途中で設計変更されて新製冷房車となる事例も存在します。長期にわたって製造された東武8000系は1972年生産分から冷房が搭載されて落成しました。こうして冷房化が進むにつれてよく新聞などで使われたのが冷房化率という言葉です。毎年夏が来る毎に比率は高くなり、こうした記事が各大手私鉄のサービス向上のアピールとなりました。ちなみに大手私鉄で最初に冷房化率100%を達成したのは阪神電鉄で1983年でしたが、武庫川線で当時運用されていた両運転台の3301形がクーラーを搭載していたものの、冷房用の大容量電源を自車に搭載できなかったので同線での単行運転では冷房を使用できず、武庫川線が2両編成での運転となる1984年が本当の意味での完全冷房化となりました。

 冷房装置は車体デザインにもバリエーションを出す事が出来るアイテムです。大型冷房装置を1台のみ搭載した集中式、小型冷房装置を多数搭載した分散式、その中間で冷房装置を3〜5台搭載した集約分散式などがあります。それぞれメリットとデメリットを考慮して配置すると良いでしょう。一般論として集中式は屋根上に州電機などが搭載されていて冷房装置を配置するスペースが少ない場合や、当初から冷房装置搭載を見込んだ強度設計を行っている初期新製冷房車などが装備するのが実感的でしょう。分散式は改造車の車体補強が少なくてすみ、1台が故障しても他の冷房が補完できるメリットがあり、多くの鉄道で採用されてきました。集約分散式という方式もあって、これは集中式と分散し樹の両者の利点を持つもので、紆余曲折を経てこの冷房装置の配置に落ち着いた鉄道会社もJRを含めて多く存在します。またききの信頼性向上により保守の容易な集中式を再び採用する例もあります。同じ形式でも非冷房から改造時期や新製時期に応じて冷房装置の種類が複数存在する例は珍しくもないので、こうした形式の実写をよく観察して自分の架空鉄道にデザインを採用してみるのも良いでしょう。

車両塗色考
 戦前から戦後にかけての鉄道は茶色や黒の単色塗装が基本でした。一部例外として戦前の鉄道省時代に流電ことモハ52形がぶどう色とベージュのツートンで塗装されていたり、京浜急行が戦後まもなくに赤系と黄系のツートンカラーや現在の近鉄特急の前身なども戦後まもなくに藍色とベージュなど激戦区といわれる路線では当時としては派手な塗装が採用されましたが、多くの路線では暗めの単色塗装が主体でした。これは汚れが目立たないようにするものと思われます。電車は蒸気の煤煙はあまり影響が無いにしても、ブレーキシューが鉄製であったので制動時に発生する鉄粉が錆となった汚れや、パンタの擦り板から発生する同じく鉄粉に由来する錆汚れも車体を汚す要因となり、当時は自動洗浄器などが完備されていなかったのでこうした暗めの塗装で汚れを浮き上がらせないようにしていました。
 こうした状態から車両の塗装をデザインとしてアピールし始めたのは国鉄の80形電車による湘南電車の登場でしょう。主に看板列車に使われる車両に茶色や青色に比べるとカラフルな塗装が施されるようになりました。しかし汚れの問題はまだ懸念はあったようで、ツートンに塗られた車両でも車体の腰部や樋部分は濃い塗装が配されるものがほとんどでした。ただ優等用車両に付いては入念な整備が行われたためか、車体の全面や腰部に明るい塗装を採用する例もあり、近鉄特急はビスタカーIIから窓廻りの塗装が濃い塗装にデザインが変更されましたし、南海電鉄は四国連絡特急に薄い緑に濃い緑の細い線が採用されました。しかしながら路線別のラインカラーを纏うようになった国鉄101系はカラフルな単色であり、同じ近鉄でも新性能車投入初期はクリームや明るいオレンジベースの塗装を採用していたりと、清掃の手間を考慮してもあえて映える塗装を採用した場合もあり一概にはいえませんし、東武鉄道1970年から80年ごろの東武鉄道のように塗装時の手間を軽減する為に旧性能車も新性能車と同等の薄いベージュ色に塗装する例や腰部が濃い目の塗装を採用していてもそれがその私鉄のラインカラーとして定着したので、汚れと清掃の問題が解決した後も変わらず従来からのデザインを採用し続けるという事例も数多く存在します。現在の近鉄のように腰部が薄い色の場合は窓廻りに濃い色を配置するパターンが多く、アクセントを兼ねて樋部分と車体下部に窓部分と同じ濃さの塗装を施すパターンが標準でしたが、近年の阪神や京阪には上半分に濃い塗色、下半分には薄い塗色を配置する例も出てきています。京阪の場合は上下の濃淡の差が大きすぎるため、塗装の境目に薄いアクセントの色を入れる事によって2色の差を緩和しています。
 関西では新性能車が登場した前後に採用された塗装が近年に至るまで各私鉄の顔として定着していました。阪急電鉄は塗装デザインの変更を計画した事がありますが、そのシックなデザインが沿線にも定着しており塗装変更が出来なかったともいわれています。関西の私鉄は新性能電車登場辺りに採用された単色やツートンを長らく採用していましたが、近鉄の3200系がツートンになったのに始まり、南海や山陽、神戸、阪神、京阪と次々と新しいデザインの塗装へと変わっていき、従来からの塗装で残っているのは前述の阪急だけとなっています。
 関東では京急や京成、京王、小田急は統一された塗色が採用されていますが、東京メトロは路線ごとに車両が専属として使われている関係上、各路線のラインカラーがそれぞれの路線の車両に採用されています。相鉄は会社として統一された塗色を採用しているといえますが、2012年現在塗装変更の過渡期で、その塗装変更のペースがあまり早くはないため今のところはデザインに統一性が見えないようなイメージがあります。また塗色デザインが会社や路線で統一せずに車体素材で統一する所もあり、西武鉄道や東武鉄道がこれに該当します。西武はと通勤車を鋼製車は黄色系の塗装で統一しつつ、アルミ車やステンレス車は無塗装をベースに青い帯を配し、東武は鋼製車は後述のアイボリーベースにブルー濃淡の帯、ステンレス車はマルーンの帯、アルミ車は無塗装にオレンジの帯とまるで別の会社の車両かのように各素材の車両で違う系統の塗装が採用されています。
 昭和の時代は関東や関西などの地域を問わず、塗装デザインは単色かツートンでした。通勤車で3色以上を採用したのは相模鉄道のブルー濃淡に赤い帯が恐らく最初のものと思われます。その後にグリーン濃淡にオレンジ帯を採用しましたが、アルミ車を採用してからはアルミを活かした無塗装車体にアクセントの赤い帯を配したものとなっています。他社は東武通勤車の新塗装でアイボリーベースにブルー濃淡2色のラインが入ったものが1985年に採用されています。これはそれまでの塗装簡略化のために採用されていたセイジクリーム単色が利用客に不評だったことに対するものと当時相次いで誕生していた国鉄転換線の第三セクター鉄道が多数の塗色を使ったカラフルな塗装に触発されたものだと思われます。しかし一部の優等運用にも充当される車両はともかく純然たる通勤車への3色以上の塗色採用は後に続く例が少なく、1990年代中期以降から京成や京王、南海、山陽そして近年塗装デザインが変更された京阪が3色塗装を標準デザインとして採用、近鉄もけいはんな線とシリーズ21系列に3色塗装を採用しました。これは基本的に2色濃淡塗装でアクセントとして車体のベースとなる塗装とは逆の色を細い線として使っていたりしていて、3色を全部同等に使う例はほとんどありません。この点は優等車両に採用された多色塗装についても同様な事がいえます。

 架空鉄道での車両の塗装は自社の個性を出す上でも重要なものですし、同じ車両でも塗装が違うだけでイメージがまるで変わってきます。架空鉄道サイトではその多くが車両の外観図を自サイトに掲載すると思うので鉄道の顔になる存在になるでしょう。ここで個性を発揮していくのは当然な流れですが、実在の鉄道や他の架空鉄道に無いものをと狙いすぎて奇をてらいすぎても不自然なものになるでしょうし、複雑なデザインはまとめるのに多大な労力と秀逸なセンスを必要とします。色の基本は赤青緑ですが、単色や直線的に二分しただけのツートンなどの単純なデザインでもこれらを組み合わせて多彩な色を生み出す事が出来ます。緑の濃淡といっても京阪の旧一般色と南海の旧一般色は見た目は全然違いますし、単色の阪急マルーンと近鉄マルーンも見た目はまったく違います。もう少し似ているかなと思われる東武鋼製車と小田急鋼製車の塗装も一本違う色のラインを入れるだけで違いを表現できます。塗装は微妙な色あいやラインのデザインで大きく個性が変わってくると思います。この辺りも実車をよく観察研究していくと自分なりの個性を獲得していけると思います。